#記録 マイ・グレートリセット #2 見切りをつけて、発想を変える(1)

今日も取り止めのない話。

 

AIはとても便利なものだが、やっぱり予想通り「AIを使いこなしてる俺すげー」を誇示してくる向きも多いよね。

もはやAI使いこなす人とそうでない人に大差がつくと予測している人もいるんだけど、正直あんまり頭よくないと思う。そんなものあっという間にコモディティ化するんだから、その優越感を感じていられるのも今という短い時間だけ。

アウトプットが皆同じようになったら、退屈してそうでないものを探すようになる。アメリカで日本のシティポップがバカ売れしたのと同じ現象。

AIは確かに便利。だからAIに任せるところは任せるとして、人間はAIには出せない発想をひねり出すことを考えたほうがいいんじゃないかなと思ってる。「これまで」を全否定して新たな道を探す力。

 

何に限らず発想をひねり出す力が力が生死を分けると言えるような時代が迫ってるとわたしは感じてる。

というのは、ここまで人の思考と志向がばらつくと、もはや「規範」とか正しいロールモデルを探して寄せていく意味は完全に消えた。「分断は良くない」にこだわってる方がバカで、「分断上等。自分は自分」をより強固にしてサバイバルを楽しめるメンタリティを養った方がいいに決まってる。

 

例えを出すならコメ価格。

「今だけ」高騰していると考える人は「そのうち元に戻る」ことを願う。

でも本当に元に戻ると思う?わたしは思わない。二度と戻らない。

この世の中の理解として、コメ問題のカラクリを追っていくことはすごく大事。理解することは大事。だけど、そこに怒りを持つことはそんなに大事じゃない。たとえ、このカラクリが極悪非道なものだとしても。

や、正確には、怒りを表明することはとても大事。だけどいつまでもその怒りにとどまることは生活を助けないでしょう。

じゃ、何が一番重要かと言えば、「見切りをつけて、発想を変える」しかない。

安い輸入米を買うのも致し方なしかもしれないが、どこでどうやって作られたコメかわからない。何かイケナイものが添加されてるかもしれない。

それならもうコメは食べなくてもいい、と思えたら勝ち。

むしろ「今は戦時中なんだ」と逆張りして楽しめる人は勝ち。

一日三食食べなきゃいけないと思い続けてる人は苦しい。人はそんなに食べなくても生きられることを知ってる人は勝ち。

カサが必要なら、コメに雑穀混ぜてもいい。豆類混ぜてもいい。

それを「白いお米も食べられないなんて」と怒り悲しむ人は負け。「むしろ健康になるじゃん!」と思える人は勝ち。

 

そもそもコメっていうのは、大昔から我々を悩ませてきた大問題。日本人にとってコメは、単なる食べ物以上の意味を持ってきた。稲作伝来以来のなんやかやがあり、コメは天皇に捧げられてきた一方で、「租庸調」といって税を取る仕組みだったんだから、水田を推奨したら税収が増えるので、肉食禁忌が強化されたんだよ。他の仏教国で肉食禁忌ってないんだもの。

国や政治家に期待する人は負けではなくて、歴史を鑑みないで夢見る人。

 

もうひとつ言っておきたいことがあるけど、眠くなっちゃったから続きは明日!

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