米騒動に揺れるより実践できる食べる瞑想
テレビにせよユーチューブにせよSNSにせよ、
画面が大きかろうが小さかろうが、メディアはメディアじゃん。
要するに「お立場発見器」なのかなって思う。
先日、実家にて、朝っぱらからTV付いてたのを見たんだけど、スーツ姿のコメンテーターが
・コメって大して味の差なんかない。日本産、中国産、カリフォニア産、味に違いがありますか?ほとんど同じでしょ
・ブランド米なんて意味あんの?
・日本のコメは生産効率が悪い。大規模農場見習って生産性上げる努力を少しはしたらどうか
のようなことをエラソーにおっしゃっていて、朝っぱらからアタマに血が上っちゃったんだけど(おかげで目覚めの悪いワタクシも1分でシャキッとなりましたでございます)、
てか、そもそも「そこ」じゃないじゃん今回の話。ずっと減反させてきて、誰かが流通止めたらスーパーに並ばなくなるのは当たり前。
・・・ま、しかし皆さんそれぞれの「お立場」で、決まった方向性に誘導しなければならないポジショントーク。それもお仕事。おつかれさまでございます。
しかしねえ、、、、ここまで落ちたか日本人の品性と思ったら怒りより悲しくなっちゃった。
いくら片棒担ぐのが「お仕事」とはいえ、いつからこんな生産者に対してリスペクトのない発言をいけしゃあしゃあと、エラソーに、てめえ何様だよ、あなた様はどなたさまでありましょうかと思ったんですよ。
どうせゴルフ場以外の「自然」なんか知らないような人たちが「農業」についてワーワー言う。
農家もそう、漁業もそう、レストランもそう。さらに「お母さん」もそう。
人を食わせる仕事、栄養を供給する仕事、「食べるものをつくってきた人たち」に対して、あまりにもリスペクトがないのではないかって思う。
お金出して買うだけの人たちが、ゼロからものをつくる現場を尊重しないで偉そうに言うって、いつからそんなになっちゃったんだろう。
そしてそのような人たちが同じお口で「社会の公平性」とかまで言い出す。
・・・・・あっしには、わからねえでございます。
まあ、、、、、
この米騒動の話は、読んでくれてるみんな言いたいことがあるはずだと思う。
飼料になるような古いコメを「安くしときました」って出されて、ありがたがって食えっていうのか?とか
備蓄全放出して、有事の際にどうすんだよ?とか
言いたいことはたくさんあります。
しかし、そーゆーことを言うだけしょもないことも事実。
それよりも。
「食べる瞑想」
を実践する方がよっぽど豊かだなって。
先日神父さんから教わった黙食。
口に入れたら目を閉じて、食べ物を噛む感覚、舌に触る感覚、飲み込む時の口内や喉の動き、そしてその時感じるもの、、、、
そのようにして一口一口噛みしめることで、食と「向き合う」。
美味しいと思ったら「美味しいと思った」事実を見つめ、
まずいと思ったら「まずいと感じた」事実を見つめ、
すべてを見つめて、そっと流す。
その時、コメの一粒一粒を味わうことができるかも知れない、できないかも知れない。
で、そのようにして食べると、ほんとうにゆっくりした食事時間になるから、少量でも実際にはお腹がいっぱいになる。
それでやっぱり、人間そんなに食べなくてもいいんだよなってことにあらためて気づける。
実践して、ああそうだ、これは以前、お寺でお坊さんたちと「禅ご飯」という会を企画していたことを思い出した。
昔のことをすっかり忘れていたことにも驚くけど、コメに揺れる今だからこそこういう試み、こういう時間を提供するってやっぱりいいなあって思ったんだ。
自分で火を起こして、ご飯を炊いて、それを食べるのも良いと思う。
これに限らず今(リセット期間)は、今後これまでの施術に加えて提供したいものを熟考しているところです。
DOでありBEであるようなことをたくさん取り入れていきたい。
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