【Tips】À la recherche du temps perdu 失われた時を求めて

今年は例年より多くのトマト苗を育てようと考えている。

これまで「そんなに採れても食べきれないじゃ〜ん」で、バカだから「保存する」がすっぽり発想から抜けていた。

無肥料で育てた野菜は放置してドロドロに溶けたりしない。だったら保存も「ソースにして冷凍」以外にもあるだろう。

 

 

先日、アゼルバイジャンらしき田舎の、収穫したトマトを女たちが黙々と保存するだけの動画を見た。

映画のように美しい映像美もさることながら、この女たちに会話はなく、特に愛想もなく、ただ黙々と手を動かし、それぞれがやるべきことを淡々と進めていく。

その様子から、これはこの人たちの年中行事で、何十年も同じことを、この家の女たちはしてきたんだろう。今は皺くちゃのおばあちゃん、子供の頃からずっとやってきたんだろう。きっと戦争の時も、こんな風にしてきたんだろう、、、と思わせた。

とても美しかった。

ナレーションもなく、ただ見ているだけで、収穫したトマトをどのように保存すれば良いのか、わたしにも理解できた。

感動的だったのは、作業の終わりにおばあちゃんがこの作物、天の恵みに対してお祈りをする場面。

崇高ささえ感じた。

 

 

 

セルビアではトマトを灰の中に埋めて保存する。これはすごいと思った!

冬の間に暖炉で出た杯を保存して、畑に撒くだろうし、作物保存にも使う。実に理にかなっている。

→ そこで早速、暖炉持ってる友達に来年は灰を大量に分けてもらうようお願いした。

 

このような「知恵」は、探せばyoutube上にゴマンとある。今、自分も含めて人々は、失われた知恵を求めているんだろう。

実践のために見る人もいれば、単に失われた時へのノスタルジーかもしれないけれど、どれも「いいね」数が万単位であることから、「電力消費」の世界である現代へのアンチテーゼとして視聴者の心に刺さっているんだと思う。

そしてこのような知恵は、極度な消費文明からは少し離れた、「低開発国」と言われるところにのみ残っている。

 

と思ったら、

これを見て愕然とした。みんなにもぜひ見てみてほしい。

アメリカですら、ちょっと前まで裏庭で野菜を作っていたことを知ったし、そこには「豊かな人生観」が確実にあった。

豊富にあった豊かな知恵や考える力、工夫する忍耐力を奪われ、すぐ手に入るインスタントな利便性で「バカ」にされたのは日本人だけじゃない。

「生きる」のためにはクソの役にも立たない観念的などうでもいいことであーだのこーだの言って、進歩した気になってるのは「先進国」「もと先進国(日本)」全体。

そして、知恵が完全に失われた今、「持続可能性」みたいなアホなワードが掲げられ、人間は多すぎるといって削減されようとしている。

何もかも、うまく循環していた生活が、かつては確実にあったのに。

・・・・・・ああ、愕然とする、以外に言葉はない。

 

 

まあ、だからと言って「縄文生活が最高!」なんてわたしは思えないけれど、

少しの工夫でできることを、粛々とやるしかない。

・・・・やるしかないっていうとなんか力んでたり、悲痛な空気さえ漂うけれど、わたしは「こうやったら、こうなった」実験が好きなだけで、

土を育てることも、植物を観察することも大好きだからなんの苦労だとも思わない。

何より、自分で作った野菜が売られている野菜に比べて段違いに美味いとわかってしまった以上、喜びでしかない。

 

みんなもやってみてください。ベランダでだってトマトぐらいは簡単に育つよ!

 

 

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