修道日記(5)瞑想で地球を上空からくまなく見た

修道日記(4)全否定もなく、全肯定もない

  さあ、そろそろ端折りたくなってきましたが(爆笑)、きっちり続けていきます。これも修行です。   たまにはクソ真面目な自分と対面する 初日はほぼ顔合わせ…

 

世の中にはいろいろな瞑想法があるから、それぞれ活性化される部分がちがうんだと思う。

「呼吸」を教える人もたくさんいて、教祖化している方、そこに群がる人たちの話も聞いたことがあるけど、激しくドーパミンが出るようなもの、それこそ脳内麻薬みたいなものを誘発して気持ちよくなっちゃうやつもあるようです。

そこで思い出したのがこの本なんだけど、ホント面白かったから、スピジプシー気味の人は読んでみて〜。刺さる言葉があると思うよ。

目醒めるとは限らない。 魔境への扉も全開にするDMT。 どちらの道に進むかは自分次第。 話題の幻覚物質DMT。 その有用性を独自に研究し、社会に役立てるべく DMTを含む合法の植物を使い、お茶を販売したことで 前代未聞の雑草裁判にかけられた著者による、DMTの体験ルポ。 自らの経験を通して気づいたのは、DMT×スピリチュアルの危うさ。 悟るために活用しなければ、魔境に迷い込む! ? 魑魅魍魎が跋扈する混沌としたスピリチュアル界に風穴を開ける著者の視点は、 スピリチュアルジプシー、あるいは洗脳、依存の沼にハマる人々を救うヒントと可能性に満ちている
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そんな話はともかく、この静かなヴィパッサナーは微細な感覚を養いながら、いくつかの段階になっている。

シンプルで基礎的なことが大切だなって心底思いました。

「魔境」に陥らないために、やっぱり自分が還るべき「無条件(=愛)」の場所をはっきりさせておくこと大事。

 

 

プログラムには、歩行瞑想といって、「一歩ずつ歩く」ことを全身で感じる、という時間があるのだけど、修道院の広い敷地を「無条件」とともに歩く、ということをするの。

やっぱり青空や木々、そして鳥たちや虫たちが好きだから、素晴らしい時間だった。

わたしは裸足になって、芝の上をゆっくり踏みしめたり、大の字になって目を閉じて、上空を何種類もの鳥が飛んで行ったり、自分の上をハチやハエ、そのほか羽を持った名も知らぬ小さき虫たちが自由に飛んでいく様を味わった。

つくづく世界は素晴らしいなあと思って涙が出た。期間中、どんどん純粋になっているんだろうね。

大雨の翌朝、切り株の脇に大量のキノコ(美しくもあり気持ち悪くもある)が出現していて、合宿終わったら写真撮ろう!と思っていたところ、翌日に見たら黒くドロドロに溶けて汚い姿になっていた。

その時、この人たち(キノコ)は死んだと見せかけて、胞子を飛ばし、食指を伸ばしている、次の雨で再び地上に出るために。とか、この切り株も樹としての姿は絶たれても、その養分を菌たちに分けたり大地の滋養としている、、、と考えて生命の永続性を感じた。

数日後、もう見れないと思っていたキノコが、またニョッキリ生えているのを見て感動した。さすがに写真撮ろうと、午後の休みにあいほんのスイッチ入れる禁を犯した(笑)

でも写真撮るだけね。帰宅後、検索。名も知らぬこの人たちの営みについて思いを巡らした。

その場で検索してしまうことで失われることはたくさんあると悟ったよ。

この世界はあまりに完璧に設計されているけれど、人間だけがなんかおかしい。神が人間のつくりかたに失敗したなら、次の世界はもっとちゃんと設計し直すだろう。その時はもっと真面目にやれ!と思った(神に説教w)。

けれど、自分の外側で起きることはいろいろあっても、内側には嵐なんか起きないんだってこと。それを再確認できた10日間。

 

 

なんだけど、所詮はワタクシ、既知外。おもしろい体験もしました。

ある日、ふと思いついて、手で三角形を作って太陽を見つめた。

やってはいけませんて言われてることって、本当はやったほうがいいこと、なのよ。

 

その日の午後、意識を全身の数十箇所を移動させ、体の内部を感じてみる、という瞑想があったの。

これは自分にはとても簡単だったから、おもしろいなと思って、この意識を頭頂から出してみようと思ったの(ほんとはそんなことは指示されてないけど思い付いたの)。

それでまずは聖堂全体に広げて、次に修道院の敷地全体、練馬区全体、東京都全体、、、、って広げて、日本全体、ってなったらわたしは日本地図を上空から見ているようになった。

やべえ、と思ったけどおもしろいからそのままでいたら、左のほうに朝鮮半島とか中国大陸が見切れてる。

思わず伊能忠敬の末裔根性(嘘よ)が出て、意識を大陸の方に移したら、それ以降はもう、ランドサット映像みたいに画面が移動していく。

それでモンゴルとか、インド〜中東、シナイ半島とかもつぶさに見て、ヨーロッパ全土、下がってアフリカ、横にずれて南米から中米、北米、、、って回っていった。

途中から使命感(笑)みたいなのが出てきて、取りこぼしてはいけない!みたくなって、地球の各地域をすべて見尽くした。すんごいバカづらしてたと思うよ、白眼で口パッカ〜んて空いてるんだもん。

さらにいけるのかなと思って太陽を見て、月に、、、と思ったけど、もういいやってなってだんだん地球に降りていったところで終了のお鈴。

ところがこの時ばかりは、自分の肉体に意識がちゃんと「はまる」までにすごい時間がかかったの。

動けないし、声なんか出せないし、ものすごい浮遊感。そして、ほほーこれはアレに似てると思ったよ、よいセックスの後の浮遊感。まさにそれ。

でも瞑想では快感はなくただ浮遊感だけがあるってだけだけどね。

そのまま激寝できたらどんなに良かったか。でも頑張って正気に戻したからちょっと疲れた。

 

で、その次の時間もまた同じ瞑想だったから、「疲れるからやだなー」と思ったの。

そしたら今度はランドサットではなくて、誰かが(誰?)地球を回してくれて、わたしは赤道をずっと眺めている、ということをした。次に北回帰線、南回帰線とやって、子午線もやった。

頭おかしい。

でもまあ、楽しかったし、そんなに疲れなかった。

 

翌日のグループ面接で「ランドサット映像出てきた」と正直に言ったら、

「それはあなたの想像ですか?」

「いえ、勝手に出てきて切り替わります」

「その時、意識はあるんですか」

「はい、ランドサット映像を見ている自分を見ています」

「・・・・・・・・なら、いいです」

みたいに呆れられた。困った人だなと思ったでしょうね。

わたしだって神父さまを困らせるつもりはないから黙っているべきだったのかもしれないけど、こういうサンプルもあるよってことで一応報告したまでなんだけどね。

 

ま、邪道よ、そんなのは。

しかしわたしはちょっと何か、おかしいんだと思うわ。

ちょっとっていうか、おかしいんだよ、要するに。

 

・・・・でも全期間を通じて、自分が「要するに変」であることについてじっくり考えた。

敢えて群れの中に入ってみることで、考えることができたってことなのよ。

そしてそれがとてもよかったんだ。

 

 

>>続く

 

 

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