つわものどもが夢の跡。サハリンに残る日本の残像を発見して感傷に浸るの巻

こないださー、偶然見たこの動画

「サハリン」の自然なんだけど、心震えてさー、この地形やっぱすごい北海道っぽいんだわーと。

それで、あれ?サハリンてどこ?つまり「樺太」だったとこ?つまり昔、日本だったとこ?ってなるじゃん。

それから樺太といえば間宮林蔵?間宮海峡とかそういえば?うろ覚えながらも「北海道の近く」だけど、実際どこよ?

で、地図見るじゃん。

それで、稚内を北海道の脳天だとしたら、脳天めがけて落ちてくる矢みたいなのが「樺太」てかサハリンだってことを確認したわけなんだけど。

ところがわたしが検索ワードを「樺太」にしたものだから、グーグル先生が気を利かして余計な情報をサジェストしてくれるわけだよね。

 

それで見つけたの。

こんな感じよ。

 

うわ、なに「樺太神社」って。

そーだよやっぱ昔日本だったとこだよ。

それで見たのよ。

見てよこれ。うわ!って思った。

 

なんかいきなり、すっごくリアルになってきた。確かに、ここ昔日本だったんだ。神社ガンガン建ててたんだ。

いきなりものすごく生々しくなってきたわけ。

で中を見たら、こんな感じで

元・灯篭だろうか。テキトーにぶっ壊された残骸あり。教科書でしか知らなかったことが、今やどんどんリアルに。

 

かつてはこの神社の大鳥居でも建ってたんだろう鳥居前広場ってのはさー、こんな感じなわけ。

ひゃー。鳥居転じて戦車置き場って、シュールさ加減すごくない?

なんだよーソ連、停戦してから攻め込んできたくせに〜。(でも戦争って勝ったヤツが正義だからしゃーない)

 

で、さらに、「護国神社」ってのもあるから見てみた。

それが衝撃だったんだよ。これ!

 

 

え、梨本宮って書いてある!

もういっちょ。

ナウなロシアの殿方には、なんて書いてあんのか知る由もあらず。ただ検索するのみ、みたいな心境でしょうね。

 

いやーしかしGoogleってすごいね。わたしみたいのがこんなはるか離れた鎌倉でぬくぬくしながら、「樺太」が今どうなってんのか知れるんだから。

間宮林蔵が見たらひっくり返るでしょうね。

 

や、それでね、なにが驚いたって、

ここに書かれた文字ね!

「梨本宮」よ!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%A8%E6%9C%AC%E5%AE%AE%E5%AE%88%E6%AD%A3%E7%8E%8B

 

これマニアックにもほどがある話だから、ほとんどの方にとっちゃどーでもいいってことはわかってるんだけど、

この方さー、横田めぐみさんのお母様の出自に繋がるって言われている方じゃないの?

ま、仮にそうだとすると、この方の長女方子さんが朝鮮李王朝に嫁いでいるから、しかもwiki見る限りでは、ナウな我々が想像できないぐらい当時の情勢が複雑で、

日本と韓国/朝鮮の間でゴタゴタあって国籍問題とか何やかやしてるようだから、確かに「さもありなん」て感じはするのよね〜。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%96%B9%E5%AD%90

 

 

それでさらにサハリンの地図を見てたら、日本時代の遺物がすんごい残ってるってわかったの。

北海道拓殖銀行樺太支店。今は美術館として使われてる。

これ、まんま「小樽」じゃん。

これはどうやらその付近らしいんだけど、

これ明らかに「日本」でしょ。鶴だもん。奥には「太鼓橋」状のものがある。

旧日本庭園だね、、、、

 

 

それから南部の方には、旧拓殖銀行大泊支店てある。

それを見たらほんとびっくりした!

ほんっとにびっくりした!!!!

これなんだけどね。

 

これ、鎌倉の人ならみんな「BANK」っていう、昔信用金庫だったのをバーにした店だと思って疑わないと思うの。

これなんだけどね。や、並べりゃ違うんだけど、でも、脳内画像ではまさにこれなのよ。

 

 

 

それから、この(サハリンの)付近にある「日露戦役樺太遠征軍上陸記念碑」ってのも見に行った。

 

あーーそうか、そゆことか。

日露戦争やって、勝ったから樺太半分もらったのか、、、、、

ここから上陸したってことなのか。。。。

ここから上陸して、、、その後樺太神社とか建てて、銀行建てて、、、、このクソ寒い地で。

そして今は、ただただ残骸。

諸行無常の響きあり。

 

 

横倒しにされた記念碑だけど、そうだよね。そりゃソ連は倒して破壊するよね、、、、、。

 

無残に横たわるこれを見つけて少し心が痛んだ。

どうせたくさんの人に踏まれているだろう。

死んだのは日本の人も、ロシアの人も。たくさん死んだんだよね、、、、、

しかし夏の景色は美しくて、それが切ない気持ちにさせる。

 

 

ああ、日露戦争って、正確にはいつの話だっけと調べたら

1904年2月6日 - 1905年9月5日

 

、、、、やだ、今年はまさに、勝利から120年目。

そして、2月6日って、、、、開戦した日、まさに明日じゃない!

またおんなじようなことが起きないように、軍人さんたちがなんか言ってるのかな。。。。。😢

 

この120年を、上から眺めたような、不思議な気分。

日本の人もロシアの人も、がんばりました。勇敢でした。

今はあの世で、酒とウォッカを酌み交わしている日々であって欲しい。

つわものどもが夢の跡。

 

 

 

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