皆さま本日も無事明けましておめでとうござます。
墨を擦って筆をもつということをしたい。去年あたりからぼんやり考えていたこの欲求、ようやく取り組むことにした。
誰かに見てもらうとか、コンクールに出すとか、そんな目的があるわけじゃない。意味もなく、ただやりたいだけ。
実家にこんなものを見つけて、おお!まさに旧字体を書きたいと思っていたから渡りに船。
同じ文字を、楷書・草書・行書の3体の手本。
そうか昔の人が皆、驚くほど美しい字を書くのは、こういうもので練習したんだな。
これを四字ずつ、満足いくまでひたすら書いてやることにした。全部で1000字あるから、死ぬまでに完了できるのか甚だ疑問だけど、別にいい。「これでよし」とか「しゃーない」と思えるまで4つの文字を書く。
楽しい。楽しすぎる。ただやりたいだけのことをやるってなんて楽しいんだろう。朝のルーティンにしようと思ったが、一旦始めたら一日中やってしまう。他のことができなくなるので朝には向かないと悟った。
それにしても書道ってすごい。オバハンになって初めてわかった。
自分の書いたクソ汚い文字を客観的に見ることで、自分という人間がわかる。これがなかなかに笑える。
だいたいが右肩上がりで、縦書きでも右にズレていく。たった4つの文字を書くにも、途中からツメが甘くなる。ツメが甘くなったことを瞬時に感じるから、最後の文字で帳尻を合わせようとする。よって常に3番目の文字がクソ汚い。
一つの文字の中にも自分のせっかちさが表れる。「止め」とか「払い」より「ハネ」が難しい。せっかちに早く跳ねすぎている。だいたいの場合、跳ねるポイントまで待っていない。つまりツメが甘い。
書いても書いてもヘタクソだが、なんかそういうのがいい。下手くそな字がいいのではなくて、自分の字が汚いということを認識するのがいい。「美しくないものは汚い」という事実と向き合えることが何よりいい。書いては「かーーーーーーー!」と独り言い、独り笑う。
ヘタクソな字を「これが自分の味」なんて自分で言うほどバカではない。そういうのは見る人が決めることだ。それに味が出るほど書き込んでもいない。いつか味の域に達してみたい。
楷書が汚いと、早く草書をやりたくなる。「これがダメでも、あれならイケるのでは?」思考かと思われる。でも楷書をきちんとできなければ、結局草書も汚いから楷書に戻ることになる。しかしそんなことをやっていると、いつしか初めて書いた文字よりは上手(自分比)に書けるようになっている。へーーーーーーーーー!と思う。
それから「書道というもの」についてもうひとつ気づいたことがある。
ただ文字を上手く書くだけでは全然ダメで、実際は半紙という宇宙の、どこにどのように配列するか、余白をどう活かすかということまで含めての総合芸術。使う筆、墨の種類や濃さ、滲み、紙の種類まで配慮に入れたらとんでもなく奥深くて、一生到達できないとさえ思える。
で、そうなってくると、「文字=情報の伝達」という世界隅が認識している基本的な目的から、大きく逸脱しているわけで。よく、「あまりにも達筆すぎて読めない」ってことがあるけど、ああいうのには読む側にも相当の知性が求められてるってことになる。
しかしながら、ポイントはそこ(読める、読めない)ではなくて、あくまでも文字をしたためる側の話だ。
文字を見たらだいたいどういう人かわかるわけで、それだけの書を書くということは、筆と墨の選びから始まって、筆圧や運筆、バランスなどの総合的な鍛錬を必要とするもの。その結果として現れた文字が「その人」を表す。もはや書かれた文書の情報以上のものを書は表すわけで、そのためのプロセスが「鍛錬」だから、書は単なる書ではなく「道」がついて「書道」となる。
かーーーーーーーーーーーー!
日本はなんでも「道(どう)」にしてしまう。
貴乃花は相撲ではなく「相撲道」という言葉を使ったし、茶道だって「お茶を美味しく淹れる方法」ではなく、所作のすべてが含まっての「道」になっている。
で、道というのはまさしく「プロセス」だからやっぱり「道(みち)」としか言いようがない。道にはゴールがなく、どこまでも果てしなく続いていく。対して西洋は、プラグマティックな方法でゴールを目指すことを良しとしている。
前者では「精神鍛錬」であり一生をかけた自己との向き合い。後者ではゴールに向けた「トレーニング」であるから勝てばいいので人間性を鍛えるわけではない。
日本の道文化ってすげえな!と思った。
それから、硯は「石」なわけで、力を持つ石のエネルギーを筆を通して体内に取り込む、みたいなこともあったんじゃないかなって思ってる。
昔の日本人がやってたことって、たいていとんでもない意味があるから、それぐらいの秘密があったっておかしくないと思う。
下手でも一向に構わないからみんなも書を始めるといいよ。脳の回転速度を落とすのに役立ちます。
ではまた。