KAORISSIMA by メッセージを伝えるアクセサリー

by KAORI OSANAI

「才能(センス)」と「技術(スキル)」を勘違いしてはいけません

今日思いついて、書いとかないと忘れるから。

 

ちょっとあの、多くの人は

「才能(センス)」と「技術(スキル)」を勘違いして理解しているような気がする。

 

仕事ができる/できない、の要点は、

(この場合のできるは、物理的にできる、つまり単にCANということではなく、EXCELLENTかどうか、という意味で言ってます)

才能ではなくスキルだと思うわけです。

 

もちろん、才能がないことはできません。

例えばわたしは絵を描く才能がない!数学の才能がない!!

遅刻しない、という才能がない!!!(むしろ遅刻する才能がある!)

そこは「ゼロ」なので、ゼロにいくつかけてもゼロにしかならない。だからやらない。

いつも言ってるけど、高校時代、数学は0点以外、取ったことがありません。

興味がなく、やらないんだから当然です。悔しくもなく、恥ずかしくもない。

請求書を書くことさえできれば、一切問題がありません。

 

で、人が何かに取り組んで、仕上げられるなら、それは少なくとも「才能」はあるわけです。

でも、うまくできないのは、単に「スキル」がないだけ。

だからうまくいかない時に「才能がないから、、、」と思ってしまうのは早合点だし、別な側面からいえばそれは逃げです。

いや、逃げてもいいとは思いますよ。

でもね、スキルはいくらでも獲得可能なものだと思います。ある程度のレベルまでなら。

(そこで「天才」とは何か、という話になってくるのですが、そこは置いときます)

 

で、仕事がEXCELLENTではない人というのは、

つまり端的に言うと「段取り力がないだけ」だと思うのです。

場当たり的にしかやらない、やれない。

で、段取り力は「スキル」なので、いくらでも身につけることは可能です。

歌手にはなれないけど、芸能プロダクションなら興せる。

そんな感じじゃないでしょうか。

え?(話を混乱させました)

で、段取り力は、段取りが上手い人を見ていれば勝手に身につくはず。

 

それで、「場当たり的な仕事」をいくらやっても、「スキル」にはならないと思います。

なぜなら場当たりだから。

「うまくいった」も偶然、「うまくいかなかった」も偶然。確信がないので、すべて偶発だと考えてしまいます。

それだと何をもって「自信」と言えるのか、極めて曖昧になってきます。

それで、「自信」を外に求めるようになります。

「誰かに褒めてもらったから」という具合。

でもその誰か、は極めて曖昧です。

しかも、誰もやったことがない仕事の場合、褒めてくれる「誰か」なんか存在しません。評価できないんだから。

で、うまくいかなかったことの方に、むしろお宝があるというか、うまくいかない理由があるわけです。

だったら、それを潰せばいい。

 

どんな些細な仕事でも、意識がその先に向いているかどうか、は非常に大切な気がします。

逆に言うと、

「完成」から逆算したヨミができるかどうか、です。

逆算は「勘」でもあって、

「遅刻はするけど、納期は守れる」は、やっぱり「勘」のなせる技です。

この感というのは、第六感的な勘もそうですが、ほとんどは経験値です。

「完成」から考えて、何が無駄で何が無駄ではないのか。

何に時間をかけて、何にかけないべきなのか。

わたしは要らぬ努力を徹底的に嫌っているので、当然「無駄」を嫌悪しています。

無駄なことをする時間があったら、家で寝ていたいから。(夢は夜ひらくしねw)

 

逆に、「意識的にやる仕事」である場合、無駄は1つもありません。

たとえ「それは違う」となっても、打開策に繋がるし、検証の意味が発生します。

なので、「アイディアをまず形にしてみる」が脳内で組み立てられ、偶発的な成功を得ることができたら、あとは完全な形にするという作業はほとんどが「段取りが命」だと思います。

 

だけどそもそも、忙しい中、ぱっぱと料理をつくる女性は段取りには長けているんじゃないのかな。

ちゃっちゃと料理できる人で、仕事のスキルがない、というのは、本当はありえない話だと思います。

 

「才能がない」などという言葉を簡単に口に出すものではありません。

それを言う意味が、あんましないからです。

結局、人間、自分の才能に頼らざるして生きてはいけないのです。

 

 

すげー真面目に書いた。

 

 

読んでくれてありがとう!

またね!

 

Leave a reply

*
*
* (公開されません)

ショップセレクトアイテム

X