KAORISSIMA

ENERGY BOUTIQUE

過去は「忘れない」でも「忘れるべき」でもないと思う

美しく、新しい、カオスなこの地球と
自分を満たして生きる

さっき長崎から帰ってきた。

「わたしの頭の中の消しゴム」が作動しないうちに、まだリアルなものを保っているうちにこれを書いておこうと思った。

そしてこれは、わたしという個人のただの心象風景であって、読む人がどう感じるかなどということや、わたしがどういう人間だと思われるかなどは、いつものごとく一切考慮しないで心に浮かんだことを記録しておきたいがための覚書だ。

そして一切まとまる気がしないのでまとめるということさえも放棄したいと思う。

人は生きているうちに、その目で向き合わなければいけないことがいくつかあると思う。

感情を揺さぶられることを回避する人生を選択する人から出る言葉に、さほどの重みを感じないのは、結局のところ向き合ったか向き合わなかったかが如実に現れるからで、だからと言って言葉に重みがある人になりたいわけではなく、向き合った上で至極軽い人間でありたいとわたしは思っている。

今回の長崎行きで、わたしはどうしてもこの目で見るということをしたかった。

 

原子爆弾による爆風で、石の鳥居が「片足」になったまま残っているという。

標識に従って右折すると、「え!」という感じで、それはあった。

こんな「石のもの」が飛ばされる「風」とはどんなものだろうか。石だから残ったわけで、どれほどのものが「残らなかった」のか。

説明書きを読み、瞬間的に怒りがやってくる。

それは正確な言葉を使えば「この野郎!(こんな目に遭わせやがって)」だ。

しかし今のわたしは、怒りを長く持続させることができない。あっという間にそれは消えた。

本来ならあったはずの片足の土台は、近年養生されたらしく、新しげなコンクリートが打たれている。

そこにあったのは

猫の足跡だった。

それを見て、わたしは感動に打ち震えた。

生きるとは、こういうことなのではないかと思った。

倒壊した鳥居のパーツは、今もそこに横たわっている。

そこは今、猫たちの遊び場になっている。

爆弾が落ち、焼け野原となり瓦礫の山となり、緑は失われ、生命は、人の営みは失われた。瞬時にして。

その大地に、いつしか草が生え、木が育ち、家も並び、人は、動物は生きている。

我々は皆すべて、なんらか「生き残った者の末裔」だ。

それがすべてだ、とわたしは思う。

 

道を奥に進むと、山王神社がある。

悲しくてやりきれず、涙が出てくる。

揃って生き残った一家族だって地獄だったに決まってる。

しかし、誰も恨んではいけない。何かを敵だと思ったらいけない。

「やられたことを忘れない」じゃなくて、今境内から小さな子供の遊ぶ声が聞こえていることを、わたしは忘れたくないと思った。

後ろに見える大楠のなんと力強いことよ。

根が生きていれば、わたしたちは強く生きることができる。たとえどんな傷を負ったとしても。

楠に階段がついているのは、幹に開いた空洞に溜まった石を覗いて見ることができるように。

覗くと、確かに石ころがぎっしり。そして同時に、楠の良い香りがした。

「生きろ」と言われている気がして、わたしはまた泣きたくなった。

 

 

神社を後にして、長崎大学医学部キャンパスに沿って歩きながら、浦上天主堂を目指した。

大学でも当然、若い命がたくさん失われた。授業が行われており、机に座ったまま亡くなった学生たちのことを記す碑があり、込み上げてくるものを抑えることはなかなか難しい。

それは悲しみであるし、悔しさでもある。

もしかしたらそれはわたしのものではないかもしれない。

とにかくただ、どこにも「敵」や善悪のない世界を、生き残った者が体現して生きていくしかない。

 

 

天主堂に着いた。

多分小学生の時に初めてその名前を聞いて以来、決して忘れることができなかったこの教会は、当時の神父の判断により、敗戦後割とすぐに、遺構を壊して全く新しい形での再建となった。

その経緯はここには書かないが一通りのことをわたしは自分なりに把握している。

人は色々と賛否を問いたがるものだ。

しかしどんな決断でも、決断を下すだけの理由があるわけで、その判断が正しかったかはずっと後世の歴史が決めることだろう。

過去はいつでも未来が決めるものだ。

被爆した聖人像が断片的に敷地内に残されている。

以前は、自分はとてもこれを見ることができない、自分が受ける衝撃を考えて、色々な意味で怖いと思っていた。

しかし、今のわたしは驚くほど穏やかだ。

なんとも言えない別なものをもって受け止める。

裏手には吹っ飛ばされた鐘楼の土台がかろうじて、当時の悲惨さを伝える唯一の遺構として残る。

ここまで色々と見てきたが、気づくのは、各説明書きの文章の特徴で、

どこにも敵国への憎悪を煽る書き方がされていないことだった。

今のわたしは、それを見識だと捉えることができる。

憎悪がなくても、遺構がなくても、戦争の悲惨さを忘れないことは可能だと思う。

それは、教会を持たなくても信仰は保つことができるのと同じことなのではないか、と思うからだ。

 

東洋一と言われた威容を誇った教会の鐘楼といったら巨大なもので、それが倒壊するとはどんな威力だったのだろうと、想像するも想像を絶する。

 

わたしたちは「核のある世界」に生きている。人類が「核のある世界」を選択してしまったから。

でも、誰がそれを望んだのか。

 

続いて爆心地まで歩く。

そこに、天主堂の一部アーチがポツンと置かれている。

 

低い盛り土の上に、小さなモノリスと戦没者の名簿が安置されている。

わたしたちが行ったとき、完全に人払いされ、この公園には誰もいなかった。誰一人も、だ。

この階段を上がり、盛り土の上に立った時、ものすごいものを地下から感じた。

それは怒りでも悲しみでも悔恨でもなんでもないような気がした。ただ、ものすごいものだと感じた。なんなのかはわからない。

語弊があるかもしれないが、それは生のパワーのような気がした。不思議だが、そう感じた。

 

そしてすべてが終わった時、わたしは身体が軽くなったのを確かに感じ、気づくと修学旅行や大勢の人がいた。

 

「その日」と時刻だけが刻まれたこの像は聖母子像だと思った。

 

過去は「忘れない」でも「忘れる」でもない。「そして生きる」だけが正解なんじゃないか、と思った。

過去に対して無理に決着をつける必要はない。

ただ、とにかく、生きている人間は生ききる以外に答えはないと思う。

また、戦争は、もはやこのようなわかりやすい形を取ることはないだろう。

それに、仮に爆弾が落ちなくても、誰かが悪いと人が思う限り、この世から悪が根絶されることはないと思う。

全人類あらゆる負の感情を自分の中から消し去ることが、結局わたしたちが真にやるべきことだとわたしは思ってる。

それは可能なことだと思う。

 

 

ともかく、わたしは今回のミッションは果たした。

長崎に行っただけですでに良かったのかもしれない。

長崎についた夜、大浦の教会の前に立ったら、なぜか涙が溢れてきた。意味はわからない。

次はどんなミッションがあるのだろう。

 

ではまた。

 

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