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物部と十種神宝と磐船神社


既知外の皆様

 

ミゾクイ問題を追っていながら、わたしの関心は横道に逸れて、

というよりも、もしかしたら、もっと核心なのかもしれない「物部」がやたらと引っかかってくる。

こないだの記事に挙げた「ひふみ祝詞」と物部文字、そして何より

めちゃくちゃ気になる十種神宝。(トクサのカンダカラ)

ふるべゆらゆらとふるべ。

これ一体なんぞ?

 

十種神宝は死者も蘇らせるという秘儀。

そしておそらく「ふるべゆらゆら」は「DNAのゆらぎ」に決まってる!(と俺2号からの情報)

私たちの体は約40兆個の細胞から成っています。この約40兆個の細胞は、細胞周期間期(1)であるG1期、S期、G2期および分裂期のサイクルを数十回繰り返すことで(図1上段) 、たった1個の細胞である受精卵から増えたものです。それぞれの細胞の核には生命の設計図であるゲノムDNAが収納されています。近年、細胞核内のゲノムDNAはダイナミックにゆらいでいる(DNAのゆらぎ(2))ことが明らかになりました(図1上段、図3B)。間期には、ゲノムDNAが収納された細胞核は二倍以上に成長し、DNAも複製されて倍化します。しかしながら、この細胞核の成長、DNAの倍化とゲノムDNAの「ゆらぎ」の関係はほとんど分かっていませんでした。

https://research-er.jp/articles/view/111346

 

物部氏は「物部守屋」を最後に表舞台から姿を消しているわけだが、

要するに、

物部は、秦とか賀茂とか以前から、ジャパンの大地にいた人たち。

もっと言うなら、大和朝廷つーか「天皇家」みたいなもんが仕立て上げられる以前から、クニを持っていた人たち。

ものすごい霊力とともに。

 

そして、関心を向けたら、情報が即入ってくる。

出雲のあっちゃんから、「物部神社」に久しぶりに行ってくると連絡きて、検索したら

https://www.mononobe-jinja.jp/

このサイトから、やっぱし「何か」が入ってくる。

そんで、授与品の中に「十種神宝」を発見して、どういうわけだか、心踊る。

 

んなこと言ってたら、超ひょんなことから、奈良の古墳の場所を地図で見ることになり、

その付近に「石上神宮」を発見。

ひふみ祝詞を上げるところだね。へ〜こんなところにあるんか。。。

(ほんとうに箱根から西のことを何も知らないわたし。東京湾から北東のことも知らない。要するに、世の中のことをほとんど知らないわけだ)

そしてビビる!

この神宮がある場所は「布留山(ふるやま)」、その住所は、まんま「 奈良県天理市布留町」。

ふるべ

やんけ!!!!!

その近所には「布留遺跡」というものまである(今は、な〜〜〜〜〜〜んも、痕跡がない)。

しかし、どんだけフリフリしていたのか!!!どんだけゆらゆらさせてたのか!!!ってことを察するに余りある地名。

そして、お山の中にある奥の院みたいなところには、当たり前だけど巨石がある。

 

ちなみに、このあたりの土地は今は「天理市」つまり天理教の本拠地ということなんだろうから、

やはり土地に宿る霊力というもんが凄まじいのだろうとみた。

 

で、石上神宮のサイトに、色々と示唆に富むことが書かれてあるのを見逃さない。

当神宮にはかつては本殿がなく、拝殿後方の禁足地(きんそくち)を御本地(ごほんち)と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていました。明治7年菅政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正2年御本殿が造営されました。

明治になって、禁足地に手が入れられた!

本来出してはいけないものが掘り出されてしまったのよ。

当神宮の御神体である神剣「韴霊(ふつのみたま)」が禁足地の土中深くに祀られているという伝承があったため、明治7年8月に当時の大宮司 菅政友(かんまさとも)が官許を得て調査したところ、多くの玉類・剣・矛などが出土すると共に神剣「韴霊」が顕現され、伝承が正しかったことが証明されました。
その後、明治43年から大正2年にかけて神剣「韴霊」を奉安するために本殿を建立し、この折に禁足地を北側に拡張、そして当時拝殿西隣にあった神庫(ほくら)を禁足地内の南西の隅に移築して、現在の状態に整えられました。
神剣「韴霊」が顕現された地点は本殿と拝殿との間で、現在大きな石を置いて標示してあります。また、神剣と共に出土した玉類などは、その多くが重要文化財に指定されています。

そして

禁足地拝殿後方の、「布留社」と刻字した剣先状の石製瑞垣(みずがき)が取り囲む、東西44.5m、南北29.5m、面積約1300平方mの地を「禁足地」といい、当神宮の神域の中でも最も神聖な霊域として畏敬(いけい)されています。 明治以前は南側の半分強(南北約18m、面積約800平方m)だけで、当神宮御鎮座当初からのものかどうかはあきらかではありませんが、古来当神宮の御神体が鎮まる霊域として「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」或いは「御本地(ごほんち)」、「神籬(ひもろぎ)」などと称えられてきました。 また、明治初年までは中央東西約8.6mにわたり高さ約85cmの高まりがあり、そこに「かなめの木」と呼ぶアカメモチ一株が植わっていたとのことです。

こういったものが、明治政府によって、ズタズタにされてしまったってことだわよ。。。

 

 

そしてさ〜

とにかく神武以前のすごいむか〜〜〜しに、物部はクニを持っていたわけだけど、それってどこに?

って考えて、

あ!!!!!!!!!!!!!!!!!

となった。

それ、

まさに、去年の秋!

星田妙見の後に行った「磐船神社」がまさにそれじゃないの!!!!

(そうだこの時、カメラのシャッターがいっさい下りなくなってしまって、あいほん写真しかないんだわ〜)

とにかく、とてつもないところだったわ。

 

 

と思って、今になって見返したら、ちゃんと書いてあった、ニギハヤヒと物部の件。十種神宝も。

 

この時点で

「ニギハヤヒって誰よ?」「十種神宝ってなによ?」状態だったわたしが、

ようやく追いついてきましたよ感。

てか、ちゃんと行くべきところに行ってるじゃん!!!!!ということに驚いた。

 

あの時見たこの光景は忘れられない。

 

何事かと思って近づいたら、そこに書いてあったのは

登美毘古大神

つまり「トミさん」じゃん!!!!

てことは出雲じゃん!!!!

なんで???????

ってなって、この件、速攻あっちゃんに伝えたんだった。

この辺りから、出雲と「ヤマト」は対立構造であるはずなのにおかしいぞ????と思い始めたんだったわ〜。

今ではわかったわ。

ニギハヤヒさんとウマシマジさん、実際どっちが先なのか知らないけど、とにかく物部は出雲でトミさんよ。

 

 

・・・・・それでまあ、もう一つの関心は、

この巨石文明はいつ、なんで滅んだのか?って話よ。

 

 

ではまた。

 

 

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