既知外の皆さま、はい、本日もまた無事明けましたのでおめでとうございます。
一昨日からイミフな頭痛で寝込んでおりましたが、本日は先生に直接頼み込んで席を用意してもらったこちら。倒れても、這ってでも、絶対行かなくては!と決意して、家を出たら頭痛なくなりました。
肉体を自在に動かせる人たちは、自在に操れる宇宙を脳内に宿している。
身体のどこかに不具合を抱えていたり、いつも浮腫んでいたりする人は脳内(思考)に不具合があり、脳内が浮腫んでいることの裏返し。
脳に不具合がある人は、同じ様相を肉体に宿している。体を自由にしたければ、思考を自由に。このことは臨床経験から言っています。
舞台は言わずもがな素晴らしく、最後の最後に、なんと!まさかまさかの藤圭子『命預けます』が流れての大フィナーレ!誰が予想したかそんなこと!
わたし「うおーーーーーーーーーーーー!!!!!」と脳内で叫んだ。やっぱり叡先生!さすがわかってらっしゃる!!!!!!!!!!!!
これはもう、叡先生からわたしへのプロトコルだと思いました(笑)ある種の人にしか通じない。
「聖母マリアはあなた自身」、マリア様を仰ぎ見る時代は終わった!わたし/あなた自身が聖母と同じ力を持つ。今後はそれを行使するだけ。
と言い続けて早何年? しかしほとんどの人はこのことを今だに理解しない。理解しないから力を使うことができない。だから今だに安っぽいスピリチュアル(笑)なんかに惑わされる。力は既に持っているのに、使えることを知らない。
でもこのことを理解する者は、「すべての者がフリーメイソンになる」と言われたらピンとくる。全く同じことを言っているのだから。
だけどフリーメイソン=悪の組織としか認識しないようではわからない。一生わからず彷徨い続ける浮遊霊のようなもん。
このところ、より認識を新たにするのが
要するに「行使するのか、しないのか」だけのこと
というシンプルな結論。
つまみ食い知識をいくら集めたって無駄。「知っている」と「できる」は全く違うこと。
使ってみて初めて「確信」が生まれ、その確信は「自分」みたいな小さなアイデンティティを軽くぶっ飛ばしてくれる。
力は「自分」レベルの小さなものの中からやってくるわけではないことを知って初めて謙虚になれる。そうでないから一生「自分らしさ」とかにこだわる浮遊霊で終わる。
こないだ表 博耀氏という山陰(やまかげ)神道の方を知り、以前からこの本はアマゾンで存在を知っていたけど出しているのが「どうせヒカルランド」(スイマセンw)と思って買いはしなかったんだけど、信頼する友達が、かつて表さんと一緒に活動をしていたよという話を聞かせてくれた。
氏も「もう後がないから(地球に)、秘匿していたものは全部公開する時が来た」と仰っている。そのような方がそのような思いで開示されたものは、実践すべき。
十種神宝だって、もう、みんなが使える。
「知ってる」と「使える」は大違い。使って初めて、素晴らしさを知る。
2025年を待たずして、わたしらもう、生存の危機に瀕していることは、年明け一発でわかったはず。
人災だろうが天災だろうがどうでもよく、なんか一発で終わってしまう。
生きながら浮遊霊で死にたいか、聖母として被昇天か、自分で選べるのが今という時。選べるというより、選択を迫られているわけ。
30年先に生きてる自信がある人だけ、ゆっくり時間をかけて怯えて浮遊してればいいんです。
わたしはできることを全部やって、悔いなく別なところに行きたいです。お先に失礼!てな感じで。
このところ、自分の中に巣食う何かを感じていたけど、今日の公演ですべてぶっ飛んだ。何かに自分を侵食させてはいけない。
流れる藤圭子の声を聴きながら、そんなようなことを考えて、席を立ったらあいほん画面に「目白の田中邸炎上」のニュース。
やられたね。報復が早い。線香消し忘れで家が燃えるかっつーの。普通、線香って「消す」もんじゃないことぐらい、誰でもわかりますから。ま、新年早々、ドカンドカン来ますな。
まっこも角栄の娘なら、怯まずやってほしい。
すべからく娘とは、父の遺言を実行する存在。父っていうものは、たいてい、後から正しさがわかるもの。
わたしらみんな正しいと信じることをやり、それ以外はどうでもいい。
どうでもいいけど、食べたケーキが断層にしか見えなかった。
おしまい。