既知外の皆さま、本日も明けましておめでとうございます。
旧友との再会が相次いでいます。
先日のこと、大学時代の友達Hと久しぶりの電話で、M子が1年前にご主人を病気で亡くされていたと聞き、驚いて、慌ててMに電話。電話で話すこと自体が何年振りかも記憶にないし、よくよく考えたら彼女の結婚式以来会ってなかったんだ。
しかし不思議なもので、Hと電話する1週間ぐらい前がMの誕生日だった。そして、その日の夜、BSで黒澤の『七人の侍』をやっていて、おお!と思って彼女にメッセージを入れたんだった。というのも、映画には彼女のお父さんがエキストラで出た関係で、エンドロールに名前が載っていることを覚えていたから、懐かしく観た。メッセージは未読のままだったけど特に気にしていなかった。
M子も大学の友達で、独身時代は非常に仲良く、勝どきに住んでる頃はしょっちゅう遊びに来てくれてた。
M子も「特殊な家の子」で、気難しく大酒飲みで荒くれ者の父と、バレリーナの母という強烈な個性を持つ両親の間に育ったが、家庭の中はいつも騒乱状態。いつもその余波を受けていたわけだが、なかなかそんな話は人にできない。以前散々書いたように、わたしはわたしで家の中はパレスチナ状態だったから、大学時代、何かの拍子で「え、あんたンチも?」ということを吐露し合った時からめちゃめちゃ仲良くなった。
今みたいに、すべての嵐が去った後での分析的な話ではなく、紛争当事者として心折れる現場での日々、長電話してお互い慰め合った仲だから、まー何から何までよくわかってるし、今にして思えばその存在には本当に助けられたと思う。
彼女の父親は我々が在学中に亡くなった。特攻隊の生き残りで、戦争が数日長引けば確実に出撃となっていた。そのことが彼の心理に深い影響を及ぼした。馬を愛した人で、『七人の侍』には馬術の腕を買われ、馬での戦闘シーンに出演している。彼ご自身もそのことは一生の思い出だったようだ。
彼女は忘れているだろうが、父上が亡くなるにあたり、抗がん剤の恐ろしさをわたしに伝えたのは彼女だった。「生きている細胞まで殺してしまう」「自分には絶対に使わない」ということを、確かに彼女は言った。わたしは話の肝だけはきちっと記憶している人間なので、この実際的な話は二十歳の時からその後わたしの脳裏から消えることはなかった。
何年振りだかわからない電話をかけたら、話し始めたらまるでいつでも話しているような調子で、延々2時間ぐらい喋ってしまった。友達っていいなと思った。
それで昨日、施術会の後、彼女との席に向かった。
彼女に会うのに、マリアグリッド一式をプレゼントしようと持っていった。口調は明るくても、「配偶者を失うって、親の時とは悲しさが全然違うものだよ」と言っていたから、やはり傷ついていることに変わりはないだろうから。アクセサリーも彼女が好きそうと思われるものを数点鷲掴みにして持っていったが、案の定ドンピシャだったことが嬉しい。
考えたら10数年合っていない間に、わたしは人が理解できない何やら普通ではないことを仕事とするようになっているわけで、でもまあそんなことの経緯を微に入り細に入り説明するというよりは、割とざっくりこんなことをやっている、と話せば「ふうん」的に受け入れてくれることも嬉しい。「何をやっている」は極論すれば割とどうでもよく、お互い「何を、どう感じているか」を確認し合うのがわたしには嬉しいし、とにかく遠慮なくベラベラ喋り、違和感や変な引っかかりを感じない、ということがいいな〜と思った。
超笑ったのは、
「あんたが体を治せるっていうからさー」と言って、人間ドックの結果を持参してきたのには、なんだか知らないけど超絶ウケた!
ま、考えたらそーゆー発想もアリだなと思ったけど、そういやわたしはDNのせいおかげで今や数値の読み方もわかるっちゃわかるようになってるんだってことが、なんか他人事的に面白いなと思った。
Mの数値は前年に比べてよろしくない箇所があるものの、別にどうってことない話だから気にするレベルではない。でも面白い話が出た。
「旦那が死んで、あたしは生きなきゃ!って強く思ったのか、やたら食べるようになってさー、すごい太ったんだよ」と言う。それで幾つかの数値が悪くなってんだよ、と。もともと彼女はガリガリで、食が細いタイプ。それが彼女の健康スタンダードだから、太るってことはよろしくない。
話を聞いてるうちに、あれっ?っと思ったから「それさーーーーーー、あんた本人が食べたんじゃないと思うよ」「どういうこと?」「旦那が食べたんだと思うよ。旦那病気で最後ほとんど食べてないでしょ」と言ったら、ハッとして「や!そうだ!別にあたしが好きなものじゃないもん食べたくなってたわ。あたしは好きじゃないけど、旦那は塩辛いものが大好きでいつも食べたがってた。そういやそうだ!やたら塩辛いもんをめちゃ食べたよ」
「あーーーーー、腎臓の数値がおかしくなってんのはそれだよ。これ検査した時はそれが反映されてんじゃない?そんで食欲は一定期間だけだったでしょ?」「そうそう!もう、元に戻った」
「それさ、旦那があんたの体を使って食べてたの。だからいわばあんたは奉納してたっていうか、体を提供してたってこと」「なんかそれ納得いくけど、そんなことあるの?」「あるよ、あるある」
もちろん、死にゆく人には生きてる人がエネルギーを提供するから激しく消耗する。死後、それをリクープするため、死者からのお礼として「食欲」が与えられる、と考えても素敵だと思う。
それで、わたしは父が死んだ時に棺にウィスキー入れたら一滴も飲んでないわたしが酔っ払ったこと、それで自分ではなく父が食べてることがわかったから、葬儀の後3週間ぐらい、毎日バカみたいな異常食欲で毎日豪勢に食べ続けたけど、流石に疲れたので「お父さん、もういいんじゃないの?」と言ったらピタッとおさまったことなどを話した。
時間はいくらあっても話は尽きず、楽しい夜だった。それで思うのだけど、やっぱSNSでつながっていないことがすごく重要な気がしている。
ところで田中角栄の残した言葉で、これだけは実行しようと決めているものがある。それは
人はめでたいこと、お祝いより、葬式にはきちんと駈けつけろ。祝いより香典を弾め
というもの。
祝い事や喜びの席には黙っていても人が寄ってくる。あやかりたい人も集まる。けれども人間が一番打ちひしがれるのは不幸があった時だ。そういう時に慰めないでどうする。そんな考えだ。
角栄は数多の金言を残しているけれど、これにはとりわけ深く感じ入ったので、できる限り実行しようと決めていて、今回ちょっと自分なりに頑張った額をお花代として渡せたことも嬉しかった。
連絡きて「いま封筒見たんだけど、間違えてない?」というから「角栄の教えだよ」と言ったら「わかった!」の一言で気分良く「旦那にいい酒飲ましてやる」と言った彼女もやっぱり素敵な友達だと思った。
本来これは陰徳案件だから黙っておくべきことだけど、角栄の教えは素敵なので、もしも共感する人がいたら実行してほしいから書いておくことにした。
では!