既知外の皆さま、今日もまた無事に明けましたのでおめでとうございます。
東大寺の修二会、いわゆる「お水取り」をどうしても見たいと思い、足を運んだのは20代。最初の会社にいた頃でした。思えばあのとき、どうしてそんなに固執したのか。
それから時を経て、お水取りに対応した、お水「送り」があると知って衝撃を受けたのは40過ぎのことでした。それ以来、心の片隅にいつも気になっていた若狭。この、首都圏から行くにはあまりにも不便な土地。
それが、昨年から注目している奈良は丹生川上神社下社の宮司さんーーー丹生川上神社は、上社、中社、下社とそれぞれが独立して存在しているーーーが、若狭に浮かぶ無人島「御神島」について言及なさったとき、えも言われぬ「何か」(いつものように、それがなんだかわからないけれど)を感じていたところ、1泊2日お水送りのツアーをするという。情報が出た時、瞬時に参加を決めた。ちなみにツアーは受付開始と同時に売り切れる盛況ぶりだが、一緒に行く友達が気合で取ってくれた。
いつか行ってみたいと思っていたものの、まさかお水送り神事に松明を持って参加することになろうとは夢にも思わなかった上に、丹生のお話を直接聞けるとは降って湧いたような機会。自分にとって、機が熟したということかも知れない。
そして実に実り多き旅になった。
ここ数年は「体験を消費しない」との意識を強くしているので、簡単にまとめて文章にすることはしない。
ただ、本当に、ちまたに出回るようになった情報だけを鵜呑みにしていると、肝心なことは見落としてしまうということを、かなり深い部分で受け止めることができたことは自分にとって一番大きなことかも知れないと感じている。キャッチーでお手軽な調子で語られるYoutube、誰にでもわかるように書かれた本などのどこかに密やかなる違和感を持ち続けていたわたしだけれど、いくらいろいろな情報が封印を解かれたとはいえ、それでもなお秘されているものがこの国にはあり、それこそが本当のキモなのだろう。
そしてそれは「言挙げせず」の鉄則通り、めったやたらと語るべきものではない。また語ったところで誰にでもわかるようなものであるはずがないから、「秘すれば花」という言葉は本当に深い叡智なのだろう。
旅で見たこと感じたこと、いくつかの考察は追い追い記していくとして、「丹生という最大の謎」については結局何ひとつわからないどころか、わたしの仮説は簡単に覆され、「おとといきやがれ」と言われた気分。それだけに、今後ももっと深くじっくり研究していこうと思う。
また、水に関する儀式はすなわち「火の儀式」であって、もしかして拝火教(ソロアスター)とはこういうものなのでは、と感じたし、水と火の関係については皆が(わたしが)考えているよりさらにさらに深いものがあるのだろうと思う。
「火の浄化」は凄まじく、旅のから戻って、それまでと同じ在り方でいることが嫌になった。何をどう見直すのかはまだわからないけれど、何かを見直す必要性を強く感じていて、それが新たな課題として渡された宿題なのだろうと受け止めている。
自分の中で、ひとつのタームが終わったのかも知れない。大きいタームなのか小さいタームなのかはわからない。とにかくまだ何もわからない、今は。
Happy Birthday!!
新しいかおりさんのご誕生も、お祝い申し上げます。
いつも、新しい風をありがとう!!!