続きなんですけどね。
いや、漠然としてるんですよ、この違和感は。
そして各チューバー個人さまのことをどうこう言ってるわけじゃなく、あくまで「仕組みと影響」という視点でものを見ています。
ま、しかし個人さまとしても、え?ということはあります。自分は傷つきやすいから批判コメントはやめてね、ちょっとでも批判的な内容のコメントは全部消してますからと仰るチューバー様のコメント欄は、従って賞賛の嵐がズラーっと並ぶ壮観な眺めですよね。少し異様な印象を持ちませんか?
でもこの方はそれ(削除)を公表しているだけマシかもしれませんよね。事務所が全て削除しているケースはたくさんあるでしょうから。
ましてや今は批判を許さない社会が作られていて、また一方では執拗なえげつない誹謗中傷も激化しているようですから、「賞賛のみ表示」が普通のこととして定着してきています。つまり、あたかもこの発信者によって救われている人がこれだけいる、とか、この発信者の活動はものすごく価値があるとか、この発信者の言説が広く受け入れられているかのような「印象」を作ることは簡単なんですよね。
しかし健康さとは、普通に「賛否ある状態」のことを指しますよね。そして論破できるできないは、その方の考えの是非とは関係がありませんよね。
批判を許さない社会ってめちゃくちゃ危険なんですよ。この点も皆さん意識の中に入っているでしょうか?
ついでに注意喚起のためにという名目で、毎日毎日「今年予定されている大惨事(地震?津波?戦争?)」について、あくまで「視聴者からのDM」という建て付けの話を読み上げるこの方は、「削除されるかもしれない」リスクを背負って発信しているんですよというアピールを欠かさないわけですが、しきりに「これは言ったらまずいんだけど」を連発されていて、その際の弁明は、「広告止められちゃいますから」なんですよね。あれ?この方は広告止められたら困る方なんですの?作家さんではなかったの?広告止まると配信できませんからというのも、?と思ってしまいました。
いや、大惨事は来ると思いますよ。それが天然のものであれ人工的なものであれ、、、多分アリだと私は思ってます。
で、アリだからこそ、備蓄しろだとか、逃げる動線考えとけだとか、最悪死ぬことも考えた上で、今をどう生きるのかとか、生き残ったバーイ、その先にどういう世界を作りたいのか、そういう実際的なことが大事だと思ってます。
ヤベーやつ来るんだから、あなたどう生きる?今年死ぬかもしれないと仮定した時、これ以上先延ばしにしていいの?・・・そんな感じです。
決して「気をつけてくださいね」で終わる話じゃないんですよ。気をつけたって、やられるときはやられますから。
ま、いいんですよ。広告収入を得て、自著を売る目的であっても、あるいはただ単に自己顕示欲でも、別にいいと思います。ただ、気になったのがこの方の素性なんですよね。わたしは存じ上げなかったので、検索したら、五輪に関連してちょっとゴタついたことがあったようなんですよね。
で、五輪のなんやかやって、当然広告屋さんが関与してるわけじゃないですか。前回言ったことと、ここで繋がりが発生してくるんですが。で、これらの方々の間に、お顔を出さないコピーライターの方がいますよね。ふ〜〜〜ん、て感じなんですよね。色々と「ヨコのつながり」ってね、ちょっと想像したらわかるじゃないですか。ちなみにこの方って検索してもwiki出てこないって不思議ですよね。
いやいや、だからなんだって話じゃないんですよ。
でもこれらのユーチューブ上で「特定のレベルの特定の層」(はっきり言うと、自分で考えられない層。光るランドの本は読めても、岩波文庫は読んだことがない層と言ったらわかりやすいんですけど)に向けて発信している人たちの背後に「ヨコのつながり」が見え隠れしていることに対して、漠然と違和感を持ってるよってだけなんですけどね。
これらの発信者各氏は、もしかしたら自分は大災難にやられない保証があるのかもな、とかね。深読みですけどね。
そう考えたときに、この方達のお役割ってなんなんだろうなって、まーわたしは考えてしまったりするわけなんですよ。あ、各々の方々に、何か意図や悪意があるということではなくて、「仕組み」的な話です。結果的に、お役割になってるね、、、、という意味での仕組みですけどね。だって、基本的には良いこと仰ってる方々ばかりですからね。
うん、それで、皆さんはその広告屋さんの成り立ちってご存知なんでしょうか?
これね、今検索してもほとんど出てこなくなってるんですよ、ビックリしました。すごいと思いませんか?ちょっと前まで、これに言及しているブロガーの記事出てきたんですよね。今は検索結果に上がってこないんですよね。そんな操作は簡単ですからね。
そんなことも3月の論点かも知れませんね。