ナノ農業。
毎日発見がいっぱいある。
つくづく、わたしの喜びは「発見すること」なんだなと思う。
モンシロチョウが卵を産みまくったキャベツは穴だらけになり、うじゃうじゃしているイモコ。駆除するのは嫌だし、困ったなーーーーーーーーと思っていたら、アシナガバチがやってきて、あっという間に片付けてくれた。
それは残酷だが、自然の摂理。
大量に産まれた卵のうち、数名はちょうちょになり、多くはアシナガバチの生命をつなぐ。
ちょうちょの母は蜂を恨んでいるだろうか?憎んでいるだろうか?
蜂はちょうちょに感謝を捧げているだろうか?
・・・全部「違う」と思う。
循環の中で「仕方のないこと」だとか「当然のこと」だとかがあるだけなんじゃないか。
ところで、ここでわたしはひとつ疑問を持った。
「なぜ、蜂はここにイモコがいることがわかったのか?」
蜂にはイモコの匂いを嗅ぎつける高感度なセンサーが装備されているのかもしれないけれど、
あるいは、キャベツが蜂を呼んだのではないか?
と思うに至った。
以前、『心を操る寄生生物』を読んで、我々の想像をはるかに超えた「微生物」(=菌)が、この世界を作っていることを知り、
キャベツの根っこに着いた糸状菌(育み、成長させる「根の国」の存在)が、信号を発して蜂を呼び、結果、キャベツを危機から救ったのではなかろうか、というのも十分にあり得る話かと考えている。
そんなことを研究する人は出てくるだろう。
毎日毎日、好きなだけ野菜の観察をし、あーのこーの手を加えたり世話したりしているわけだが、
こんな風に好きなことに好きなだけ熱意をぶっこめる時間が、子供の頃にあったらよかったのに、小学校なんかそういう教育でいいんじゃないか?好きなだけ研究させれば、「その道のプロ」が量産されるのに、、、、などと思った。
実際、ガキんこ時代「もっと知りたい」と思うことはいくらでもあった。でもぶつ切りされた「授業」では「深める」なんてできなかったもんなぁ。
・・・・・・・と、思ったけど、ま、実際、「今」それをやっているわたしは、スウェーデンの小学生みたいなもんだろう(知らんけど)。
でも、学校のプログラム体制がよくないから、この国にはクリエイティブな視点でものを見て育つ人が少ないんだ!というのは、ちょっと違うんじゃないかと思う。
こんなプログラム体制でも、独創性ある視点から分野を切り拓いた人、切り拓いている人は実際いるわけで、(猪子さんとか、菌ちゃん先生とか、枚挙に遑がない)。
「学校教育が悪いからこうなった」は、かなりピントがズレた結論で、言い訳がましい気さえする。
今日までのところ、「野菜づくり」に関して思うことは、
結局、土壌がすべて
ということで、土が良ければ、作物はよく育つ。雨風でヘタれても、土が良くて、根っこがしっかりしていれば、植物はいくらでも息を吹き返し天を目指す。
だから野菜を世話しているわけではなく、土の状態を育てていくのが農業という仕事なんだなと実感している。
生命力とは、いかにして地面と接触しているか、どれだけ接地力を持っているか。
人間の根っこもまったく同じことで、しっかりグラウンディングしていれば転んでもただ起きない。傷ついても勝手にリカバーする。
吹けば飛ぶような状態だから、防虫カバーしたり、温度管理をしたりと、傷つかないための努力にベクトルが行ってしまう。結果、耐性のない植物になってしまうし、常に肥料をやらないと大したお花は咲かない。
人間にとっての土壌の基本はやっぱり家庭だろうし、地域環境も大きな影響を持っている。
しかしこれまた、「親のせいでこうなった」は、30代までに認識して、40代までに打破して、50代には一周回った上で親を愛して讃えてあげることができれば、特に何も問題ではないんじゃないのかな。
その間、子育てしたり、我慢したり、消耗したりしながら何かに気づき、自分を真に労わり慈しむ、、、といった回転扉みたいなプロセスを経ないといけないから、女の人生は忙しい。
生きてるだけで、忙しいんだよ我々は。
そして大人とは、自分の土壌を自分で保全できることを指すのかな、なんて思った。
ほっといても雑草生えない土壌目指して、皆さま、頑張りましょ!!!
夏至近し。自分の「土壌改良」しましょう!
来週19日(月)対面でグラウンディング調整します。1枠(11:00〜)お席あります。
https://www.reservestock.jp/page/consecutive_events/27983
お付き合いありがとうございました!