つづき。
それでもって、巨大鳥居がぬっと現れてっ三輪山入り口。
でもーーーー、町の雰囲気としては、これが「あの」三輪山の入り口なの?っていう感じで、その「感じ」は諏訪大社本宮にも言えると思う。
そして、この鳥居をくぐって参道に向かうあたりの「感じ」もやっぱり諏訪大社本宮に似ていると感じたけど、わたしだけかな。
で、三輪山ですが、結論から言うと
「幽玄にやられた!」
です。
やー、やな予感したんですよねこれを見たとき。
探幽入玄談玄口不開不言大教言外の教即随神の大道也(ここから先のことは言挙げするな!的な意味ですよね)
と書かれてあります。
だからまあ、あんまりペラペラ言うのは控えますけれども、わたしにとっては「幽玄」て、水墨画の世界、的な観念世界じゃないんですよね。現実なんですよね。
ま、そんなわけで入り口にあったこの文字が、その後3日続くことになってしまった。
おにょさんたちは頭が痛いと言ってましたが、わたしにはそれはなく、ただただ「ふわふわする」。よく言われるような「ピリッと引き締まった空気」どころか、ふわっふわで地を踏みしめて歩くというよりは、うっかりすると漂ってしまいそうな雰囲気。
よってあれこれと注意深く見てやろうと思っていたのに、なんかぼ〜っとしたまんまでした。
手水のところに居たヘビちゃんかわいい!!大物主さんでしょうか。大物主さんとは、つまりニギハヤヒでしょうか。(ここは掘れば掘るほど謎が出てくるポイントです)
そういえば石上でもヘビちゃんいました。三輪山のヘビがお迎えに来てくれてたのかもね。
それから狭井神社。
狭井とは何か。「若狭の井」じゃないのか?つまり水銀を含む水じゃないのか?
で、実際、水汲み場があった。
ここでやめても良かったが、なんとなく「⇦桧原神社」の案内を見て、あれ?桧原神社ってなんだっけ?知ってるよ?なんだっけ?となり、徒歩20分というから行ってみることにした。
それが例の石上から続いている山辺の道(古代道)で、歩いたら実際には30分ぐらいはかかった。
って、
うーーーーーーーーーーーー
せっかく治ったのに、これを書いてたらまた「ふわふわ」がやってきた。いったい何なんだ、このふわふわさん。
で、とにかく桧原神社に着いて思い出したのが、
そうだ!!!ここも元伊勢だ!!!!
ということ。
しかも、ここは、豊鍬入姫が最初に移動したところでしょ。
そもそも、この日は大江山の方の元伊勢に行くつもりだったわけで、むしろスタンプラリー的にはこちらの方が始発点だから、やっぱしこちらに来たのが結果オーライな正解だったのかも。
ちなみに最近の研究事項に「元伊勢とフトマニクシロ」、「天津金木と天津菅麻」が強烈にあって、要するに地上に張り巡らされたグリッドなんだが、そこで言うとやっぱり天皇は京都もしくは奈良もしくは伊勢に住まうべきなのだろう。(という話はまた今度)
ともかく、わたしは元伊勢に興味津々。スタート地点に偶然来れましたということ。
檜原っていうのは「日の原」で、太陽祭祀を行ってはったんでしょうね。
そして豊鍬入姫はお名前の通り、豊の国、国東半島の方から来た方。だから大神神社にはうさぎが関係しているのね、宇佐だから。
お山を降りて、向こうに見えるのは非常に奈良っぽい光景。大和三山の2つだけど、どう見ても人工建造物よね。確かどこの地層とも違うんじゃなかったかしら?
どうでもいいけど、香具山の「ある土」が天皇即位にマストアイテムだったらしくて(あ、神武さんがね)、いま名前をど忘れしてしまったわ、ナントカいうのよ、その土は。
で、その土の成分が「カオリン」ていうのよ😜😜😜😜😜😜 ウケたからそこだけは覚えているのよ。(どーでもいい情報)
古墳連なるのどかな道をてくてく歩いて駐車場に戻ったら、秋分のお日さまが大鳥居の中を横切る光景が見れた。
で、わたしにしたら大して歩いてもいないのに、なんか疲れたというよりふわふわが続いていて、京都から新幹線で爆睡。横須賀線で爆睡。ドン疲れの様相で帰宅。
翌日は経堂施術会という強行スケジュールを組んだ自分を呪ったけど、仕事はきっちりやれるのよ。そういうのは問題ないのよ。
でも、とにかくふわふわなの。経堂からの帰りも爆睡し、
こりゃちょっと、流石に何かが起きてるんだわ、と思ったわけよ。
そしてそのふわふわは、さらに翌日もひどくなり、あることを「はっ!」と気づいたら、ポンと消えて無くなったのよ。まるで漫画のように、頭上から雲が消えたの。
その件はまた。
ともかく旅行記おしまい!やっぱし現場に行くって大切よね。