夏が暑すぎて、我がナノ農園は壊滅状態に。7月はさほど暑いと感じずだったのに、8月になったら水やりすらままならない暑さだったもの。
そりゃ、野菜も高騰するわけだわ。。。
無残にもカスカスになったプランターの整理を、昨日からようやく着手。
植えるときは成長が楽しみでキャッキャして取り組むけど、残骸になってしまったらもはやキャッキャ感はなく。
なんでも始めるときはキャッキャするものだけど、後始末をワクワクしながらする人は少ないよね。でも、この始末をきちんとする人は、サイクルを回していけるんですよね。そして経験と知見が積み上がる。
仕事ってそういうものじゃない?仕事=カネを稼ぐってことではないよ。何かにちゃんと向き合って取り組んで、学びを得ることはすべて仕事と言ってもいいんじゃないのかしら。
そこで学んだことは結局何にでも生かせるから、筋の通ったことができるし、人にも言える。信頼ってそういうことからしか生まれないんじゃないのかなって思う。
飛びつくときだけ勢いよく、いつの間にか放置して結局何も得ないというのは、若い頃にさんざんやったはずなので(はずっていうのは、身についてないことは覚えてないからだよ)、いっぱしのオバハンとなった今では、飛びつくことだけでワクワクなんかできない。つまりわたしは歳をとったんだと思うし、ようやくマトモになってきたってことかなとも思う。わたしが目指したいのは成熟だから。
放置していた土の中には、大量のコガネムシの幼虫がいて、うへぇぇぇぇぇぇぇだよ。
しょーがないから大量の土の中から幼虫だけピックアップしてまとめることにした。心折れそうになったぜ。でも、虫だって子孫を残そうと必死に頑張った結果がこれだもの、仕方ないわよ。わたしはヒクヒク動く小さな存在を無碍に殺したりすることはできないわ。
本来ならば、良い土を作ればそのまま次の野菜を植えてよしなはずなのに、彼らがいたら根っこを食われてしまうらしく、その意味では「害虫」だから、検索したら駆除方法がわんさか出てくる。
でもな〜〜〜〜〜って、わたしは思う。ま、今行われている人口削減も「駆除」なわけでね。生垣の剪定とかも然り。まったく同じことでしょう?増えすぎたから駆除されるのよ。
それに関して闇だの光だの、ガタガタ言う人いるけど、でもその人たちだって害虫なら何も考えず駆除するわけでしょ。
それにしても土作りって難しい。菌ちゃん先生の言うとおりにやっても難しい。マルチングできる畑だったらもう少し苦労いらずかもしれない。
だけど土をいじる、植物の面倒を見るってめんどくさいけど貴重な時間だなーと思う。目の前の作業だけに専念する。日頃使っている脳みそをどっかに置いとく。死んだじいさんがなんであんなに盆栽やってたのかわかった気がするわ。
盆栽ってすごいよ。「日本の美意識のすべて」だよ。深い精神作用を必要とする。
木を小さく美しく、かつ立派に育てるために何をすればいいか、という栽培ノウハウでもあるけれど、それよりすごいのは「立体的にものを見る」という視点が養われるものなんだわ。
まず、木に「正面」を付けるということからして、自然の樹木では無理なこと。そして、正面だけ気にしていては、他の角度のバランスは取れないこと。要するに「美しさとは何か」を物証として考えられるし、また美しく仕立てるためには何を残し、何を削ぐべきなのか。。。。
盆栽ってのは360度の美しさを追求していける「ポータブルな自然」とでもいうべきかもしれないね。
昭和の時代ってみんな盆栽やってたじゃん。それがいかに国民の精神性を担保してたか。
大抵のものは廃れてから凄さに気づくのよ。しかしわたしは実家にある盆栽の手入れをしたいと思っている。