みんな本当に考えが浅い。
というより、深く掘っていく術を知らないわけで。
だから例えば「自分と向き合う」と言っても表面をなぞるだけで、その深層までたどり着かないから、いつまでたっても同じところをウロウロしているだけなんだ、ということにさえ気づかない。
そこでこう言う人もいる。「だって掘り方を習ったことがないから」。アホか?習ったことしか出来んのか?それなら習ったことはできるんか?実際は習ったところで実践しないだろ。
「堀り方」と題する授業がなかっただけで、実は小学校でいくらでも習ってる。同じ義務教育課程をみんな経ている。「なぜ?」という単語、「なぜ?」という「概念」は教わってる。原因があって結果があることぐらい、誰でも知っている。その「なぜ」を自分にも社会にも向けてこなかっただけのこと。
問題には気がつくが、「どうしたいのか」までは考えない。延々と問題のみを見続けて、解決するのは他の人。どうせ自分には何もできない。自分なんかちっぽけで無力。弱者信念。
そんな人たちが集団になったのが国だから、日本の国力が下がるのは当たり前。でも自分が集団サゲに関与しているとは思っていない。教育が悪いんだから、政治家が悪いんだから政治家を叩いときゃいい。
や、この現状作ったのはあんただよ。
政治家のレベルは国力に見合ったもの。レベルの高い改革案が出てきたところで、レベルの低い国民はその是非がわからない。考えたこともないし理解できないんだから。
自己認識が適正でないから、自分が生きてるだけで社会の役に立つと思っていない。
自分のアウトプットが人の役に立つと思っていないから、アウトプットしない。アウトプットは「ギブ」の精神の上に成り立っていることも知らない。
「恥」の文化を遵守して、答えを間違えないことに頭を回す。間違った答えも人の役に立つことなど考えたりしない。
「習ったことはできる」だからインプットしたことは「わかったこと」に脳内差し替えが起きる。インプットしたことはアウトプットしないと身につかないことは「知っている」。でもそれはやらない。
つまり自己防衛はするけど、自己肯定はできない。自己肯定ができないから、他者肯定もできない。自分の自由を認められないから、人の自由も認めない。だから人間存在全体を肯定できたりできない。
自分は「弱者」だから防衛しないと。立ってる世界線が「弱者」だから、それ以外は「強い人」に見える。
そして上記のようなことは「傷つかないように、優しく」言ってもらいたい、だって自分は弱者なんだもん。そして振動数を落とす。
って、どんだけ?
・・・・・だけど、そんな人で終わりたい?
へこたれるぐらいなら、とっととやれよ!ムカつくならやれよ。