ときどき、自分の考え、行動、好み、アウトプット一般、やり方、表現、、、、(あと何だろう?)などへの「賛成」が得られないと
自分を否定された!
って感じてしまう人がいる。結構いる。
で、そーゆー場合って、その人自身も辛いだろうけど、相手も噛み合わないから辛いよね。だいたい、「否定された」ってことは相手がいるに決まってる話だからね。
「自分」と「自分から出たもの(事象)」の区別がつかないから渾然一体となってしまうんだね。
「自分を否定された」ばっかりに意識を向けてると、「自分」の範囲を超えた大きな話はできないから成長しないわな。
共同で何かをやってみようという場合、つまり仕事とかなんとか、より良い成果を出すことが難しくなることもあるよな。。。。
これを図解してみたぜ!「不幸を寄せ付けない生き方」の参考になったら嬉しいぜ!
まず人はいろんな「活動」をします
・自分の中に「考え」がまずあるよね
・考えを言葉や文字にする場合もあるよね
・考えに則って何かを選択することもあるよね
・目に見えるアクションとして行動する場合もあるよね
・考えを外に「言わない」というのも一つの選択であり活動だってことも忘れないでね
そんで、「否定された」にこだわる人は、上記すべてを含めて「自分」だと考えてるんだよね。
ちゃうちゃう!ちゃうよ。そもそもちゃうよ。
「自分」と「自分から出たもの」は違うでしょ
・まず、分けて考えてみてよ。
・ピンクの部分は、自分から出たものだよね。
・言葉にして表現してないことでも、「出てる」からね。
・そしてピンクの部分は状況によって変わっていく、可変のものだからね。
・永遠じゃないよ
・固定じゃないよ
相手も同じ構造だからね
・人間である限り、相手も同じ活動をしているよ
・ピンクの部分は、どこにも属してないよ
・いわば「世界」ってのはピンクのエリアのことだよ
・お互いがお互いの考え方を知るだけで、世界は広がるよ
・共有可能でもあり、できない部分もあるよ。それが自由ってもんだよ
全体を見たほうがいいよ
・この紫の部分=「世界」だって、状況によって変わるよ
・機会として設けられた世界もあるよね(アイディア会議とか)(1)
・仕事では特に、よりよい成果を出すために話をすることは多いよね(2)
・目的を持たないおしゃべりなら、世界にはどんな考えがあるのかなって知る機会になるよね(3)
・どちらにせよ、「どうして(相手から)その言葉が出てきたのかな?」って、考えてみる、観察してみるといいよね(4)
(1)の場合
・脳内にあることを自由に吐き出してみるといいよね
・それができないなら、自分が勝手に「何か」を恐れてるだけだからね。嫌われたくないとか、バカと思われたくないとかw 傷つけたくない、もあるよね。
・怖いなら「何でも、どんなことでも言っていいの?」って聞くといいよね。相手は何かしら答えてくれるでしょ。条件がある場合もあるよね
・自分にはない意見が欲しいから、人の意見を求める場合だってあるでしょ
・みんながおんなじ話ばっかりだと、活性化しないよね。菌と同じだよ
(2)の場合
・よりよい成果を出すために、とか、もっと簡単にするために、とか、何が何でも目標達成のためにとか、いろいろ「状況」ってものがあるよね
・この場合だと当然、意見は取捨選択になるよね
・自分に見えてる世界と、他の人が見ている世界が違うことだってあるよ
・1対n(複数)の場合だってあるよ
・その場にいる人が全員フラットな関係だとは限らないよ
・全体を見て判断できる人が必要な場合だってあるし、完全合議制で、全員一致しないとその案採用しないっていうケースもあるよね
・リーダーがいる場合は、その人に一任ってことだってある。でもその場合、リーダーは結果に責任を負うよ
・「自分の話を聞いてもらえない」って言う人は、聞いてもらう努力も考えてみるといいよね。伝え方とか、例え方とか。勇気とか。
(3)の場合
・人の数だけ「活動」があるから、共感してもいいし、できなくてもいいじゃん
・興味を持ったら、どんどん質問を投げてもいいじゃん
(4)の場合
・「否定された。傷ついた」で終わる人は、(4)の不足が大きいと思うよ。それを「幼少期のトラウマ」とかを探しに行く人いるけど、単に状況読めてないだけだったりするよ。
・何にしろ「状況」ってあるから、「否定された!」ではなくて、どうして(相手から)その言葉が出てきたのかな?を考えたほうがいいよ
・何が求められてたんだっけ?とか。わかんなかったら聞いてみるのも手だよ「え、なんで今のダメ〜?」って。それ結構、解決が早いよ。
・(2)みたいな、目的ある話の場合は、自分の「活動」が、その目的とずれてたり、理解できてなかったり、忘れちゃってたりすることもある
・どうしてもこだわりたいことがあるのなら、言えばいいと思うよ。ただし、そこに余計な感情を載せないことだよ
・発言することで、お互いにとって学びとなる。自分の価値って、そういうことだよ。
・本当にいーーーーーーっつも否定してくる人もいるよ。状況、目的関係なく自動的に否定してくる人とか、マウントする機を常にうかがってる人とか。逆にそんな人に否定されても何の意味もないし、その人、認知がおかしいんだなってわかるようになるよ。
それも含めてよく「観察」するといいよ。
・・・・・・ンな感じ。
「自分を否定されたと感じてしまう」ってこと、それ自体は、恥ずかしいことでもなんでもない。脳のクセ、認知の話だもん。
そこで、そんな自分の認知特性を巷に流布している用語とかに、簡単にまとめないほうがいいとわたしは思ってんだよね。だって、まとめたところで脱却できないからね。
脱却するのは脳のクセを突き止めて、トレーニングするのが一番だよ。トレーニングにはアウトプット!
ツーわけで、金曜日には「脳の筋トレWS」やります!
とにかくまあ、あんまり「自分」にこだわってるといいことないよな。
勝手に「自分」の枠が外れていくといいよね!