ほんっとどうでもいい話なんですけどね、
わたしときどき考えるのよ。「昔はけっこう家をきちんとしていたのに」って。かなり、しょっちゅう考えるのよ。
少なくともわたし、一人暮らしの時はピシッとしていた。マンションの部屋が狭いってのもあった。家が狭いと物を増やさない方向に考えが行くよね。物理的にスペースがないんだから。
でもよく考えたら、ピシッとする癖はどこから来たかといえば、イタリアに住んでいたからよ。あの人たちは家をとにかくきれいに保つ。キッチン周りも都度必ずピカピカにする。
うちは父親がピシッとしているのを好む人で、「整理整頓」は常に言われていた。父が偉いなと思うのは、モノが多いくせにきちんと整理されてたことだわ、今にして思えば。それでわたしは片付けをしない件でいっつも怒られてた。使ったものを手入れして仕舞わないことを常にブツブツ言われてた。それが非常に嫌だったけど、イタリアに行ったらみんながそれもんだった。
そこで改心したのよねえ。家をきれいにすることは「普通」なんだとようやく知ったのよ。やればできるってこともわかったわ。習慣になったらなんでもないことだった。
だからミラノから東京に引っ越して、引き続きピシッとしていた。結婚してからもピシッとしたかった。
だけど、DNはそうではなかったのよ。どんだけ散らかって汚かろうが問題ない。それでわたしがイライラする。片付けるそばからめっちゃくちゃにされる。自分の分だけならイラっとしないけど、なんで2人分やらないといけないわけ?整理と片付けになんでこんなに時間取られなきゃいけないわけ?今になったら、それは彼の「発達傾向」というもんに依存した「特性」(←これ結構便利な言葉)というもんなんだってわかったけど、ずいぶん長らく気が狂いそうだった。
これがものすごいストレスになっていたので、ある時からわたしは考えを変えて「ピシッとしたい」という気持ちを捨てようと思った。
どんどんごちゃごちゃしていく家で、最初はなんていうの?成り下がった気持ちになった。なんていうの?ダメな人間になってしまった、、、、というような気分よ。しかし時間の経過とともに、それすらも何も感じなくなっていったのよ。
それに制作という活動をするようになると、資材やらツールやら何やら、どんどん増えていく。おまけに日々アホみたいに買う本はクフ王のピラミッド状態よ!
でもある時点で閾値を超えたんでしょうね、ほんとどうでもよくなったわ。よくよく考えてみりゃ、子供の頃はそんなこと気にもしてなかったのよ。確かにわたしは、部屋が散らかっていても平気な子だったのよ。やだー、そうだったじゃん!都合よく忘れてただけじゃん!
だけど!
今はいい加減イヤだと思ってんの!
(どうせ津波が来たら流されるんだから)モノが多いことは別に気にしないけど、今年は大掃除ぐらい徹底的にやらないとダメ!っていう気になってんの。
いや、はっきり言って去年もそう思った。でも、「徹底的に」なんかやらなかった。なんとなくお茶を濁して終わりだった。
今、俺はそういう自分を許せない!!!!と思っているのよ。決めたことはやれよ!って脳内誰かが言ってる。
だいたいねー、片付けっていうのは、増大するエントロピーに対して人間ができる最大の抵抗よ。
しかし愕然とするのよ。もはや大掃除の段取りとかを思い出せないのよ!(そうなの、もはや段取りが必要なレベルだってことなの)
それでも刻一刻と新年は近づいてくる。
そこで今からスケジュールを組むことにした!1日最低「ココ」だけはやるっていう工程表を作ればいいんだよね?そう、それを作って黙々とやればいいのよ!1日にやることが「それだけ」になっても構わないのよ。
そうよそうよ。タスクの見える化。。。。(すでにめんどくさい)
いいわ、これを書き終えたら今からやるのよ!
・・・・・・・ということを思いついたのにやる気がしないからこんな記事を書いているわけですよ、というオチ。
ほんとどうしょもない。しょもな過ぎる。
でも津波が来るのをアホヅラして待つだけってのもアレだから、まあ、やるわ。やるよ、やるやる。
やると言ったらやってやるよ!
やりたくないけど、やるよ!
皆さまこんなしょもない俺に温かなご声援をよろしくお願いいたします。