『プロフェッショナル 仕事の流儀』で宮崎駿やってたのを観た。
観た人いる?
で、そこに映し出された宮崎駿の姿に、これはもう、高畑勲に対するすさまじい恋愛だと思った。
「愛憎相半ばする」と宮崎は言っているのだけど、憎悪も含めて「恋愛」だ。
観ているこちらが気恥ずかしくなるほど、寝ても醒めても先立った高畑のこと以外を考えられない彼。またその姿を密着するカメラにさらし続ける彼は本当に純粋な人なのだと思った。
「純粋な人」「子供の心を持った人」と「幼稚な人」「単に幼い人」はまったく違う。
世界が純粋でなければ生きられない人は単に幼稚なだけで、純粋な人は、この薄汚れた世界にあってもたった一人純粋さを持ち続けることができる。持ち続けようと思って持ち続けるんではなく、たとえ世界がどうであろうとも、そうでしか生きられない人を純粋と呼ぶ。少なくともわたしはそう捉えている。
ところで宮崎の語った高畑の言葉で印象的だったのが「弱者のカタルシスみたいな表情を描くな」(正確なセリフは忘れてしまった)で、これには思わず唸ってしまった。
自分は弱い存在、自分は虐げられている、自分は被害者、自分は貧乏人、、、、と思っている人たちの連合ほどタチの悪いものはないから、破れて(失敗して)悲しそうな顔をする人、その顔をクローズアップしてヒーロー/ヒロインに仕立ててはいけない。その弱者信念に同調する者を増やしてどうする!という高畑勲の哲学が感じられて、流石一流だなと思った。
いやーーーーー、この話は、今日流れてきたこの記事
「歩く百億円」88歳社長のさみしさとの付き合い方 歳をとっても毎日楽しそうな人がしていること
のコメント欄↓が、ねたみ、そねみ、ひがみ、やっかみの「4み」オンパレードなのを見て、つくづく上記のように思った次第。もはや日本においてはSNSのニュース記事のコメント欄は肥溜めみたいなもの。
まさに弱者のカタルシス。絶対同調したくない。
どんな状況でも未来を作り出そうとする人がわたしは好きだ。それこそがクリエイティブというものだと思うから。
未来について想像すらできない人に、良い未来がやってくるとは思えない。