お正月にみんなでどうぞと、わたしの大好物であるフグを筆頭とするゴージャスな海産物一式を贈ってくださった方がいて、捌き、ブサイクとはいえ刺身に仕立て、実家に持っていき、DN、母まるちゃんとオバーハン友達でさあ食べよう!という時に、若い友達から「今仕事終わった。来年もよろしく」的なメッセが届き「俺らはフグだけどあんたも来る?」と言ったら速攻で「行く!」と返ってきた。
大晦日だというのに不気味なほど暖かい庭で鮑を焼き、火を扱わせたら肉でも海のもんでも焼き方は鎌倉で5本の指に入るだろう俺の天才的なスキルよと自画自賛しながら、酒を飲み、鍋をつつきながら、なんとなく紅白見て、やっぱ1秒間に数種の声帯をコントロールできる石川さゆりはすげーなと思い、除夜の鐘を遠くに聞きながら風呂に入り、予言映画と言われる『終わらない週末』Netflixで見て、じゅうぶんあり得るだけにマジ震え上がり、こえーこえーと言いながら、寝た。
元旦は5人でお屠蘇を交わし、そうだ、我が家はかつて5人家族だったんだよな、、、と昔の日々を思い出しながら御節をつつき、食後は井戸水を炭で沸かしてコーヒーを飲み、産土神に初詣に行き、地元の顔見知りにたくさん会い新年の挨拶をし、高台から晴れ渡る富士を眺め、富士は晴れたり日本晴れ。今年も素晴らしい年でありますようにと祈った。
幼稚園を通った円覚寺を通り、建長寺で手を合わせ、坂を下って八幡宮に行き、行列はDN一人に任せて我々は喫茶店(カフェじゃない!)で一服しながら、俺はオバーハン2人に
「今年は何かいろいろと起きると思う。新しい国産のお注射など、名目はどうあれいろいろと出てくるから絶対に避けるように。どんなにビビらされてもくれぐれもスルーするように。ババア仲間にも伝えるように。それからカネ関係でもいろいろとあるはずだから、もうカネをいくら持ってても意味ない時代になる。カネを持つより資源と物資を持っていた方が財産になる。水と土を奪われたらお金がいくらあっても生きていけないようになる。これまでどおり流通をアテにした発想を捨てるべき。そういや関東大震災から100年」という話をして、正月早々オバーハン2人に気を引き締めてもらうよう言って、店を出た瞬間、あいほんがけたたましく鳴り、能登で地震発生を告げられた。
俺の正月気分は、そこで終了した。
罹災したみなさんはもちろんのこと、さらにちょっとにわかには信じられない日航機の事故と追い撃ちまで来て、日本中の多くの人は、同様にそこで正月が終わったことだろうと思う。
国難時代きた。
しかし俺は、一昨年の松江、小泉八雲記念館で見た、八雲の日記に書かれた「日本人はたび重なる自然の脅威に全てを失いながらも、平然と立て直してへこたれない」といったような言葉をしみじみと思い出している。
地震が人工的に起こされたものだとしても、また仮に航空機の事故が過失だったとしても、責任の追及はそれが仕事である人に任せておけばよく、何かを、誰かを責めようとする魂胆の全てに巻き込まれることなく、ただただ「へこたれない」という精神を持つ者を褒め称え、「へこたれない」ことだけを自分の目標にしようと思う。
こうなってくると、あまり長い先の未来のことはどうでも良い。
1日ずつとにかく生き延びる。目が覚めたら、今日も1日生き延びれたことに感謝しようと思う。
その意味では、毎日が明けましておめでとう、だ。
毎日、1日が明けるわけだから。それはとってもおめでたい、特筆すべきことなんだと思う。みんなで生き抜こう。
既知外の皆様、本日も明けましておめでとうございます。今年はこのフレーズでいこうと思う。みんなもそうしなよ。
今年もよろしくお願い申し上げます。
北陸地方の皆様、事態が一旦落ち着きましたころ、できる支援をさせていただこうと思います。