既知外の皆さま、本日も無事明けましてお目出たいのですが、この季節例のFour letter word つまりカクテー深刻によって痛めつけられているわたくしでございます。例によって税理士に連絡することすらイヤでイヤでしょうがない。
これは呪い!これはねえ、人々の、特に俺の振動数を落とすために悪の帝国が仕組んだ呪いなのよ!しかも立春のこの一番めでたい時に、なぜ、こんなことをせねばならぬ?だいたい政治家の先生方ばっかり「追加修正」なんかが許されてるってどーーーーーーーーゆーことよ!
この時期ほんっとにいや〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜な気分でございます。ちょっと普通の人には想像もつかないと思う、この「イヤさ」のレベル感。比喩的な意味ではなく、吐き気を催すんだもの。
、、、、、そんなわけですので、機嫌にムラがあるタイプではございませんワタクシですが、なう、若干気が立ってございます。有り体に言えば、イラっときているのでございます。
そんな折、さらにイラっとさせる話といえば、
「。問題」
今どきのガキが、文章の最後が「。」で締められていると「怒っているように感じる」とかなんとかといった話。
そんなもんがしきりに記事になったりしているものだから、その辺のおっさんが右往左往しているようでございます。
ハァ?
と俺は思うのでございます。
なんで、
そいつらに、
いちいち迎合しなければならないのか?
怒っているように「感じる」のはご自由です。コミュニケーションのほとんどがLINEとかのテキストベースの人たちでしょう?この人たちは、だいたいほとんどのことが「こわい」んですよ。電話もかけられないんだから、人間が出たら怖くて。
それそもそも、もう人間としての基本的能力を失ってるじゃないですか。
勝手に怒っているように感じてもらってたらいいじゃないですか。それで、本当に怒ってるのかどうかは、その人たちがご自身で確認していただけばいいじゃないですか。それが「学び」」ですよ。なんでそんなもんにわざわざ「怒ってないように社内コミュニケーション工夫しなきゃ」ってなる?内向きすぎてクラクラしてくる。そんなことが仕事じゃねーだろ。
仮に、怒っていると感じた挙句に、やるべき仕事をしない、みたいなことがあるとすれば、そういう人は「。問題」がなくてもどうせ仕事なんかしません。だから無駄。ご機嫌取ったりしたって、どうせ早晩辞めていきます。
だけどその世代の方の中にも、マトモな人は一定数いるでしょうから、そういう方を入社させるようにすればいいだけのこと。ま、だいたい今は就職したってすぐ辞める。優秀であればあるほど辞めるでしょう。それでいいじゃないですか。
(ちなみに俺だって優秀じゃないけどすぐ辞め常習犯でしたよ。同じ時間に出社することが苦痛だったんだから仕方ないです。でも仕事は好きですよ)
だいたいねえ、俺は気持ち悪い。「寄り添い」って言葉が行き過ぎてる昨今じゃありませんか。
自助努力は放棄して、自分は弱者って言ったもん勝ち。弱者転じて無敵の人そのもの、「理解力のないわたしにわかるように説明してくれないと」みたいのが多すぎるじゃないですか。だけど本当に寄り添いが必要な人はそういう人じゃないでしょう?
自助努力はしないバカが、自助努力をしないバカに寄り添って、理解した風を装って、それがグループを形成して、、、これ怖いですよ。世の中にバカの集団ほど怖いもんないんだから。
しかしねえ、ほんとどうかと思いますよ。
その世代の何割が「。」を問題にしているのか。問題にしている人はどういう人なのか。どうせやるならその世代の方の全統計をむしろ出してもらいたい。市区町村、学歴、家族構成、親は何をしてる人か、世帯年収、そういうことをビシッと出してもらいたい。そこで詳細な傾向が出るのなら、方策を打てるわけですから。
いやしかし考えちゃうんですよね、「。問題」をなぜそんなに記事にする必要があるのか。
それ、記事にするネタがないが大前提だとしても、わざとじゃねえの?取り立てて騒ぐような話じゃないはずのことを針小棒大に焚き付けて、しまいにゃ日本語を潰す気じゃねえの?って勘ぐりたくもなります。
ま、でも句読点は明治以降の制定だというから、それはそれで、本当はなくても問題ない、むしろあってはいけないものだったりして。。。。それゆえ明治に変えられたのかも。
、、、、ってこの辺は大石凝真澄を紐解いてみたいと思います。
いずれにせよ表記は大した問題ではない。
とにかくね、日本語ってすっごい秘密があるんだよ。
それがあの方々に研究され抜かれたから、戦後俺らは文法まで変えられた。文字だけじゃないよ。文法だよ?
よく気の字をわざわざ氣って入力してる人見かけるけど、まあひと苦労さまですけど、かつては漢字の中にも霊格を宿していた。例えば「體」の字。骨が豊かと書いてカラダなのに今は「体」になった。だけど表記より大切なのが「音」なんだよ。
何しろこの世界の始まりは「レゾナンス」、響きです。その響きを作れるのが日本語75音!
そして日本語を操るってことは脳の動きが他の言語とはまるで違うってこと。よく考えてみてよ、日本語ってどこにも似てないし、日本人て他のどの民族にも似てないじゃん。
って、この話は複雑なのでめんどくさくて書きませんから、そのうちzoom会でもやりますけど。
「。」みたいなしょーもない話を大々的に取り上げて、そのうち言葉をいじろうってんじゃないでしょうねえ?と一瞬思ったんだけど、いや、別に、この音がある限り「別に」by沢尻エリカ(懐かしい)だったわ。
ま、ちょっとイラっときてますよって話でした。
それより、「万葉集を読む」というのがやっぱり我々には必須かも知れない。意味を理解するより「読む」、つまり音読するってことが重要!
ああ、、、生きている間にやることがいっぱいすぎる。確定申告とかやってる場合じゃないんだよ、マジで。