既知外の皆様本日も明けましておめでとうございます。
やはり「現場に行く」ということほど大事なことはないわけで、今回の若狭ツアーで見たもの感じたことは文字にはできない。言語にすることが難しい。情報量が多すぎる!
そして帰宅後、謎が深まる一方のこの件について考えに考えている。人間、何かしらの合点がいかないと気持ちが悪いものです。「体験を消費しない」とは、何かしらの合点が行くまでスルメのように噛み続けること。
小学生の遠足じゃあるまいし、「行きました、楽しかった、不思議だった〜」で終わるかっつーの。
何が謎って、兎にも角にも衝撃だったのは「「丹生」とはつまり水銀でしょ」という大前提を根底から覆す宮司さんの「吉野に水銀鉱脈ありません」という一言。だいたい、水銀の概念は仏教が入ってきてからだって言う。この一言に「そんな単純じゃねんだよ、おとといきやがれ」というニュアンスを悟ってしまったわたし。
えーーーーーーーーーーーーー!そんな!ごむたいな!
で、調べたら確かに水銀は宇陀であって吉野の丹生ではない。
大和水銀鉱山(やまとすいぎんこうざん)は、奈良県宇陀郡菟田野町(現・宇陀市菟田野)にあった水銀鉱山。
概要
中央構造線以北、西南日本内帯。室生火山群の南東に位置している。室生火山群の火山岩が変質した白土の節理に層状に自然水銀や水銀の原料ともなる辰砂(水銀朱)が含まれ、その鉱床が宇陀山地(宇陀市南部)にも達しており、露頭している場所を中心に古来から採掘が行われていた。水銀や辰砂(鮮血色をしている)は古代においては特性や外見から不死の薬として珍重された(毒であるが。詳しくは水銀中毒を参照)。水銀単体としてはめっきを行うために必要であり、辰砂はその色から古墳の内壁や石棺の彩色、壁画に使用された。また、『万葉集』には宇陀の辰砂を詠んだものがある。
「大和の 宇陀の真赤土(まはに)の さ丹つかば そこもか人の わをことなさむ」(巻7-1376)
ここ、すごくややこしいけど、一般的に丹生の地名あるところは水銀ありと相場は決まっているのだが、吉野の丹生、少なくとも下社のあたりには水銀ないよ、という事実。我がりーかお総研の仮説まんまと振り出しに戻る!
ややこしすぎるんだが、「丹生の水銀鉱山」というものは存在している。実在しているのだが、それはお隣三重県の多気郡多気町というところ。どっちかっていうと伊勢に近い。ともかく吉野ちゃう。
見てこれ。
この多気町の丹生にも神宮寺(神仏習合時代の名残)があって、グーグル先生の調査によるとこういうこと。
神社にはミズハノメ、寺には十一面観音という最強パターン。
うわーーーーーーーーー!行きたい!ここ行きたいわーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
いや、まあ、それで。
丹生のあるところ十一面観音あり。これ鉄則なんです。また、白山信仰も十一面観音。これも鉄則。
では十一面観音ていったい何?というのが日本最大の謎のひとつでもあるわけですが、この辺は金井南龍をひも解くことでいずれわかると思われる。
で!
調べたついでにこの三重県多気郡の神宮寺。高野山に行く前に空海が一旦はここに決めた!としたところという伝説。それはまあ、納得いく、水銀あるんだから。
しかし聞き捨てならないのが、ここにある丹生神社、継体天皇の時に建てられたってこと。ということは、そもそも丹生神社があるところに8世紀、空海がやってきたわけですよね。
継体天皇って謎のひとつで、後継いなかったから越前から持ってこられた人でしょ、つまり若狭の人じゃん!
え?じゃあ、若狭と関連しているのは本来三重の方じゃないの?
で、継体天皇第26代、下社に関係しているらしい天武天皇第40代、ということは吉野より三重の丹生の方が古いということではないの?
丹生鉱山に関するwikiも情報量多すぎてクラクラするけど、一読必須。
で。
水銀としての丹生はやっぱり「丹生都比売」さんてことになる。純粋に水銀の神。
一方、丹生川上神社の三社は実際は「水」の神を祀っている。しかもクラオカミ。このクラオカミは京都貴船神社でも祀られていて、いわば兄弟社みたいなもん。
ちなみに今回のツアー、若狭の帰りに貴船にも寄って正式参拝となったんだけど。せっかくだから先代宮司さんのご本を買ってみた。
ただやっぱりもはや「社家」が存在せず、宮司さんほかみんな神社本庁からの派遣だから、代々のことはわからなくなっているのが残念極まりない。ま、そういう風にGHQが念入りにやったんだけどね。
・・・・って、限りなく情報量多いからここでこの項やめとく。
とにかく、そんな単純な話ではないってことだけが浮き彫りになってます。
これまだ「謎」の1/10ぐらいです。