既知外の皆さま、本日も明けましておめでとうございます。
昨日は13年目の「311」でしたね。ここ数年はしれっと巷の様子を眺めているんですが、当時は確かに日本人全体が連帯の気持ちや危機感にあふれていたものの、今では当事者、関係者以外の巷はもはや能天気メモリアルな様相。
さらに1日前の3月10日は東京大空襲から79年なんですよ。こちらは当事者、関係者は残りわずか。語り継ぐ人々も少なくなってきた。
人間には「忘れる」という機能があって、この機能のおかげで辛いことがあっても前向きに生きられるわけですが、「辛い経験から何を学ぶか」を考えずただ忘れりゃいいってもんじゃない。
・・・・・この辺のことを昨日は考えていました。
わたし自身の話をすると、311の直後、「他責思考をやめる」「国や自治体に頼らない」「自分たちでできることをする」を掲げることが大事だと思い、SNSで呼びかけて集まった仲間とあるイベントを開催することにしました。
最初の小さな発信から、協力者が次々と集まり、大きな輪になり、かなりの盛り上がりとなって、新聞の取材などもたくさん受け、所期の目的は思いがけずも大きな形で達成でき、一旦の良い流れを作ることはできたのかなと感じていました。
が、その後を見ていると、結局人は他責をやめられないし、権威主義をやめられないし、自分で何かを編み出すよりは外から何かをしてもらうことに意識が行く、また、「平常」が戻れば自分のお手柄アピールに余念がない、、、人間はそういうことから離れられないのだろう(慣性の法則)という結論に達して、「ムーブメントを呼びかける」とか「ムーブメントに乗る」ということそのものに対する懐疑的な気持ちが発生してしまいました。
世界は、みんな一人一人の意識が変わらなければどうにもならないのだけれど、誰か指導的な立場の人の元で「雰囲気」に引っ張られて何かをする人が増えるのがムーブメントだとすれば、それは必ず終わる。それより「一人でも勝手にグリグリやっていること」を持つ人たちが増えた方がいいんじゃないかなーと思って今に至ってます。
つまり、バカ10000人の集団に入るより、1人の既知外。既知の世界から未知の方角を目指すのが既知外。
既知外が増えなければどうにもならないと思ってます。
玉ちゃんの今日の記事、
準備も何もせず、楽観して生きてれば良いこと起きるよ。
ポジティブが大事だよ。
そんな地震の準備とかネガティブは不幸を呼ぶよ。そういうスピリチュアルな人もいるんですが。
ワタスから言わせれば、ハラハラドキドキ。
死を逃れようと努力するから進化もする。そんな思考だけでなんとかなるなら、わざわざ3次元世界に生まれてこないのです。
皆、進化したいから生まれてきてる。
ワタスから言わせれば、自分だけ助かると思うのは変な選民思想。
変なカルト集団。そこからも逃げ出すことです。
本当にこれ。
今流行っている「スピリチュアル」って、ほんと洗脳の手口が変わっただけ、アタマ悪い人を増やしてるだけだってことに気づいて欲しい。
これもんの人って、ほとんど脳みそを使えてない。「考えてみましょう」って言っても、アタマまわらない。それは脳みそ隅々の神経細胞が死んでる、いわゆるニューロンとシナプスが機能不全ってこと。
なぜ細胞が死ぬの?使わないから。使っていない包丁が錆びてしまうのと全く同じ。
包丁は日々使って、研いで、鋭敏にしている方が却って怪我しない。切れない包丁の方がむしろ怪我する。
人間には右脳と左脳があって、この2つの分離をなくしていくのが「統合」。「松果体」ばっかり言ったって、ニューロンとシナプスが作動しなけりゃ何も起きません。同じところしか使ってなかったら、使われてない部分は退化する。そんな単純なことに、どうして気づかないのか。
動物の中で人間だけが極端にでかい脳みそを持たされている。このでかい脳みそのせいで、出産は命がけになり、このでかい脳みそのせいで、生まれてから立ち上がって歩くまでに時間を要する。(馬なんて、生まれた翌日に走ってる)
人間だけです、そんなの。しかも脳みそ小さい猫やカラスの方がよっぽどアタマいい。人間が道具、特に「火」を使えなかったら、俺らは彼らに絶対敵わない。
なのに母子ともに死ぬ気でこの世に出てきて、でかい脳みそ持たされてるのはどうして?それなのに、みんな脳の3%ぐらいしか使っていないって、どうなの?まじ、どうなのそれ?
とにかく、人間、アタマよくならないとダメ!!!
アタマの良い状態っていうのは、玉ちゃんの記事にも出てる大川小学校のような状況で、それでも裏山に逃げて助かった子供。ここにいたらヤベーだろ!という本能を超えた「何か」をキャッチして、速攻で実行できるチカラ。未来想定して、マニュアル確認しとこ!現実のシミュレーションしとこか!とひらめいて実行できた校長先生。この人たちはアタマの良い状態を持っていた。
この件に関しては、いろいろな「忖度」から語られにくく、当時、世の中は校庭で待機させた先生の非難ばっかりになった。だけどいくら責任問題を云々したって、失われた命は帰ってこない。みんな不幸になっただけ。
それより裏山に逃げた子供たち、うまいことやり抜けた校長先生の「普段の思考」を、もっと研究すべきだった。絶対、他の人と違うものがあるはずだから。
生きると死ぬは究極の二元性。
死ぬことをネガティヴだと思う人が、死については考えないようにしちゃう。自分のキラキラしか考えない。
だけど本当は生きてる人と死んでる人の境界は非常に薄〜い線でしかない。
そんなことも考えずに、スピリチュアルも何もないでしょう?
いまだに誰でもヒーラーになれるとか、なんちゃら養成講座の広告見ますけど、素養のない人が今からやっても無駄です。(もうはっきり言います!)
そんなことより「真澄の鏡〜日本語75音」でも調べた方がよっぽどアタマ良くなります。それもしょもないyoutubeや現代語訳情報じゃダメ。
とにかく徹底的にアタマとカラダを使うことしかない。わけわからないことを、わかるようになる努力。肉体の動きの全てに意識を寄せる努力。すでに与えられているものを最大限に活用すること。
それが脳の血流を促すこと→進化への道だと思ってます。
さらに、それ(進化)が、母親が死と隣り合わせでこのでかい脳みそを世に生み出してくれたことへの、最大の報恩であり、地球世界への貢献、生きている者の最大の使命だとわたしは思ってます。
「あなたはそのままでいい教」信者の方は、どうぞそのままで。ここから遠ざかっていってくださって結構です。
でも、カラダ隅々の細胞を蘇らせたい方は、施術会に来てください。
現在、3月は19日にひと枠空いています。
4月の予定はあらためておしらせします。