既知外の皆さま、本日も明けまして御芽出度う御座います。
「御芽出度う御座います」ってよくない?夜が明けたら芽が出るんですよってことじゃん。すげーな。日本語スゲー。
日本語もすごいけど、俺らは無意識にそんな言語を使っている。それってスゲーことなんだよ。ましてや俺らにとって普通すぎて、そのありがたみにも気づいていない、これまた逆に超スゲーことなんだよ。俺らに普通に標準装備されているものが、実は超絶スゲーということ。これは世界どの言語にも実装されていないってのは真実なわけで、そりゃ日本人が恐れられるはずだわ、ぶっ潰したろって思われるはずだわって最近つくづくわかってきた。
いやーーーーー、「語学」に関して、昔から思ってたことのひとつが、「日本人は英語でも、あるいはドイツ語でもロシア語でもフランス語でも、センスがありゃその国の人みたく喋ることができる。でもこの人たち日本語を完璧に喋ることは絶対できねーわな、、、、あまりに複雑だもの」という漠然とした疑問。ましてや、戦前使われていた文法で喋ることなんか、絶対できないだろうよ。基本脳が違うんだから。
それゆえ、超アドバンテージなんですよ。(って言ったら、差別主義だとか国粋主義だとか、浅い話でしかわかんない人はどーでもいいのでほっときましょう)
まー、そんな俺らはどうにかして一人でも多く生き延びる以外にないんですよ。日本語を持って生き延びることが「新しき世のため」なんだわ。
だから表面上、国の支配者が現在のかの国、つまり地図の右側方面の国から、今後は北のほうの国とか左側のほうの国に変わろうと、別にどうってことないんですよね。騒ぐに至らずなんですよ。
NTT法ってあるんですよね。
民間企業となったとNTTだけど、政府が株を保持することによって日本の通信が守られてきたわけなんですよね。通信インフラが。
ま、こういう話なんですけど。
通信て、もちろん我々のライフラインとしてもだけど、国の生命線じゃないですか。このNTT法が廃止されると、日本の通信を外国に売ることになるんですよね。そしたらどうなるか、想像できるでしょ?
で、昨日、改正法案が可決ってなったんですよね。
11日に、キッシーが売電さんに会いに行くらしいんですけど、その時の手土産なんでしょうか。
ま、わかんないんですよ。
日本はじっと、ハイハイハイハイ言って、差し出せるもんは差し出して、時の過ぎゆくのを待つ戦法かも知れないんですね。
わかんないんですよ。腹立つのりですけどね。
歴史って、後にならなきゃどーにもわかんない。最近とみに、これをしみじみ感じてる次第。
ただ、近未来的な予測として、どういうことが起きそうだよっていうのは、あらかじめ想定しておくのがいいよね、とわたしは考える派なんですよね。
近未来と、その先の未来の二段階で考えてます。
近未来はもう、ドーしょもない。もう今さらどうにもなんないです。全体の仕組み的にどーーーーーーにもなんないこと、なんでそうなったのかはzoomなんかでお話ししている通りです。(しばらく視聴申込み受け付けます)
だけど、それでもその先がありまして。
その先の未来に関して、我々は責任を持つべきだろうと思います。
あなたはどういう世界を作りたいのか、どういう世界を生きたいのか、その世界にどのように関与していくのか。そんなことを考えるのが希望というものであろうと、わたしは思っているのでございます。
それが中村天風いうところの「積極(せきぎょく)的」に生きるってことじゃないかと。
個人の我欲を集団で祈る、みたいなことに乗っかっちゃうことも的外れかも知れません。
自分に価値がないと思い込んでる人は、自分が世界を作るという発想ができません。それはかなり問題です。
いやー、なんか最近、日々アップデートされていくんです。情報って、エネルギーと同じで、ある段階に来ると扉が開いて、次のレベルにアクセスできるようになるのかな〜って感じてます。
ある段階に来ないと、その情報(物理的な)を読んだり聞いたりしても意味不明だし、だいたいその情報にたどり着かなかったりする。
タイミングが来ると「え!」という偶然で、重要情報がもたらされて点と点が繋がる。そんな風にできてるんだなーと感心することしきりです。
こういう話は、抽象的にしか言えません。過去の歴史とその裏側も、近未来と遠未来も、何が、どうなる、みたいな3分でわかる式のことじゃないんです。
抽象度高いことを理解できるのも日本人の脳の特性ですよね。とにかく我々は頭良くなった方がいい=固定概念のすべてを全捨てした方がいいです。