全国の聖母の皆さま
今日はちょっと凹むことがあって、
急遽、友達に付き合ってもらい、飲みに出かけた。
こんな時、しかもウィークエンドの夜の「急遽」なのに、「いいよ、行こう!」と言ってくれる友だちがいるって、どんだけありがたいことかって思う。
「孤独」を知っていると、そういうことのありがたさが身にしみる。
「孤独」を知らなければ、そんなことがどんだけありがたいことかなんて、字面以上には思わないだろう。
凹むことといっても、
実際にはプロセス中に「わかっていたこと」で、その結果が出たに過ぎないから
ある意味、「実証」なんだと思う。
わたしはまたひとつ、大人になったw
すべての現実は、自分が作り出しているもので
それを他者によって具現化/視覚化されるという構造の、見事な正確さに舌を巻く以外になし。
人にはそれぞれ、「学び」というものが必要で、それはゲーム。
すごろくのようなもの。
わたしたちは学ぶために生まれてきたようなもんだ。
わたしたちそれぞれ「歩く生涯学習センター」なの。
わたしなんか不遜だから
「もーーーーーーーいいだろう。学び尽くしただろう、もーーー終わりだろう」と思いがちなんだけどw
実際そんなことはないらしい。
まー不遜とはぶっちゃけ本人思っていないんだけど。
生きてる限り、どんなフェーズに入っても「はっはーーーー」と思わされる事象に出会う。
「あ、そっかー!」と思うようなことが、次から次へと出てくるわけだ。
とはいえ、もういい加減うんざりする。
カモン母船!早く迎えにきて欲しいって、思ったりもするw
でもくる気配ナシよ。
わたしときどき「もういい。早く帰りたい」って思う。
どこにだか知らないけどw
そんで、
それがどこだかわかった時に、帰れるのかなー
と、なんか妙な希望を持ったりする。
いわば根っからのバカ楽天的な自分を発見したりして、そういう楽天的能天気さ加減が自分の生命線なんだよな〜って、気を取り直す、いわばセルフケアだ。
なんか、最近ようやくわかってきた。
お金がないお金がないってずっと言ってる人っていうのは
「お金がない」という状態というか、
「お金がないと言う」のが実は好きなんだろうなということ。
だから実際にお金がないのかどうかもわからないし(わからないといってもわたし特に知りたくもない)、
実際は困ってなんかいないんだよ。
ただ、それを口にすることが好きか、好きとまでは言わなくても、少なくとも口にすることに抵抗がないのだろうし、
仮に本当にお金がないのだとしても、
お金がないことによる「制限」を、別に苦にしているわけではないのだろう、、、、
と、ゆーよーなことがよくわかった。
お金がないんだったら、作ればいいじゃん
どうすれば作れるのかなー
と思うのは
「お金がないことの制限」は苦だな
という想定とか推測の上に成り立つ話であって
「お金がないことが好き」であるなら
別にお金を作る必要はないし、作る知恵を絞ることはめんどくさいことなのだろう。
そりゃそうだよね。
で、それは、善悪でもなければ、
利口かバカかみたいなことでもないし
ただ単に「必要性」の話であって、
というよりも
「お金」ってゆーのは単なる「わかりやすいアイテム」に過ぎなくて
単純に言うと「制限があったほうが心地いい」と感じるか
「制限があると不自由だ」と感じるか
ってだけの話なんだと思う。
わたしは、自分が、「制限があるのは苦」派だから
人もそうだろうって自動的に思ってしまっていた。
そして、その「苦」と付き合っていくのはごめんだよ派でもあるし
もっと言えば、
制限をなくすための「試み」が楽しいと思う派。
当たるも八卦当たらぬも八卦派。
やってみて、ダメなら工夫すればいいじゃん派。
どうにかして制限から抜け出すか、しか考えていないと言ってもいい派。
だって、その方がヒャッハー!なんだもの。
多分、わたしは制限のない星から来たのだろう。
だから早く帰りたいと思うんだよ。
だけど、「制限がある方がいい派」
だって、存在していて、
その派閥の人は、特に制限解除を希望しているってわけではないんだよね。
人間、希望しないことはやらない方がいいに決まってるんだから
制限があるのが好きな人は、別にそれでいいと思う。
それにさ、実際にお金がたんまりあるわけじゃなくても
キャッハー!な人だっている。
いるよ、いる。
考えたらわたしだってその一人だ。
お金を稼ぐことが偉い、それが「認められる(誰に?)証」なーんて思ったことは一度もない。
ただ、この世界では、(今はまだ)お金がなければフランス行きのチケットさえ買えないわけだし、好きなワインも飲めないし、したい経験もできないんだから
だったら出来るだけ楽しんでお金を作ればいいじゃん、て思うだけ。
そんなのただのゲームみたいなもんだし、
必死になる必要もないし、
無理する必要なんか、どこにもないって思ってるの。
お金がないない言うことが、一種の口癖ってゆーのかなんてゆーのか
その心配を持っていることは「実際は問題ではない」のに、さも重大な問題かのように言うことが「フツー」である人もいて、
その人たちは別に、お金を作りたいわけではないんだねってことを
わたしはわかっていなかった、ってことが、わかったの。
いや、本当はどこかでわかっていたわけだが、どうにかしたら意識は変わるのだろうと「期待」を持っていたのだろう。勝手にね。
だけどその人たちは、その「制限」の中から、何がしかの「学び」を得るわけだし
それは、その人の自由。堂々とした自由だよ。
わたしは、制限のない人が増えて欲しいと思っているから
だってそれが世界の平和に繋がると信じているから
無制限を推進したいんだけど、
そーゆーのは、望まない人にとっては
別にどーでもいい話なんだよね。
で、繰り返すけど、
それはどっちが正しいでもなく
単に、志向の話であって
制限が好きな人に、「制限をなくすには」なんて言っても
ハァ?
ってゆーだけに過ぎない。
そこは、いわば38度線みたいなもの。
もう、絶対に相容れない。
目指す世界が違うだけ。
話す言語が違うだけ。
まあ、そんだけのこと。
このようにして、川幅はどんどん大きくなっていく。
セーヌ川にも右岸と左岸があるわけだし、
それはそれで、自然なことなんだと思う。
それぞれの文化、だよ。
学びというより「実証」のもうひとつは
「違和感のあるもの」はやっぱり違和感そのものが返ってくる。
はっはーーー!よくできてるな、と思う次第でございます。
今日、頼んだ2本目のワイン。
名前が気に入って直感で決めた。
Alchymiste
ギリシャのやつ。
要するにアルキミスト 。「錬金術師」ね。
はっはー、世界ってよくできてるなと思ったのよ。
美味しいワインがある限り、地上も悪くないって思えるよね。
読んでくれてありがとう!
またね〜