今朝、DNAチューナー(音叉)とクリスタルボウルをガンガン鳴らしてたら、かねよんが、ピアス2点を注文してくれた。
次に会うときまでお取り置きしといて!ということで。
一緒に働いていた頃の彼女を思うと、本当に嬉しさも倍以上なりおらが春、だよ。
「アクセサリーなんて、何のために必要なんでしょうか?」ぐらい言う人だったからね、あはは。
そこで交わしたやりとりが楽しかった。
チューナーをちんちん響かせてても、わたしには一切の体感なんかないけど、
振動(波動)だから、わたしの体内の水分が共振するだろう、と閃いて買ったわけだから。
ところでね、こないだ辻井伸行さまのコンサートに行ったのよ。
彼のことは、ずいーーーぶん前に、国際ピアノコンクールで優勝するに至ったドキュメンタリをテレビで見て以来、
超好き♡
なのよ。心が震えた。
そしていつか生で!と思っていたものの機会を逸していたわけだけど、
今回突然、友達が招待してくれたの。
超嬉しくて、二つ返事で「行く行く!」だよ。
わたしさー、彼が長いこと、日本で紹介される時に
「盲目のピアニスト」っていう冠がつけられるのが、ムカついてムカついてしょうがなかった。
だって、関係ないじゃん!彼はただの一流ピアニストだよ。
「盲目の」とか、いちいち付ける意味がどこにあんの?
それってさー、その文字の先には「盲目なのにすごいね〜」、って言わせたい(思わせたい)思惑を感じて、非常にムカつく。
盲目であることが論点じゃないから。
評価すべきは才能だから。演奏だから。音だから。
もっと言うと、その音から出される振動だから。
(だけど、わたしのムカつきはよそに、彼ご本人は、そんなみみっちいこと気にすらしていないだろう、とも思っていた)
それでさ、今回初めて、生で聴いて
魂が震えた。涙が出た。
あまりも柔らかなその音に。
生きていてよかった〜!と思わされる、夢のような音だった。
音響がわたしの気に食わないサントリーホールであってもそうなんだから、あれがもっといい(わたし好みの)音響だったら、どうなってただろう???
演奏を聴きながら、いろいろなことを考えた。
なにか、それ自体では音を奏でることはできない「音符」というものが彼の体内に入って、
あの方は、その時、完全なる「媒体」になって、
音符さんのいうとおりに神経を動かして、それがピアノ線を揺らしている。
そして彼の背後に、
ベートーヴェンとかショパンとかモーツァルトとかリストとか
バッハとかハイドンまで、いろ〜〜〜〜んな音楽家がいて
彼らが夢中で楽しんでいるんじゃないか、
と感じた。
特にショパンは、その楽譜に表された、喜びや悲しみ、怒りまでもが
彼を通して伝わってきて、わたしは泣いた。
また、ピアノを前にした彼には何が見えているのだろう?と思った。
それはもしかしたら、色なんじゃないかなー
とも思った。
うまく言えないけど。
人は心が震える時、
涙が流れる。
そういう風にできている。
心の琴線に触れる、という大好きな表現があるけれど
その琴線は、振動によって共振し、それが涙となって出るんだよね。
だから涙は喜びでも悲しみでも、常にイイものなんだよ。
そして、音楽を聴いて出る涙っていうのが、
実はいちばん、イイ涙だとわたしは思っている。
「ただ感じる」ことによる涙で
嬉しいとか悲しいとかじゃない、極めて純粋でど真ん中なものだから。
音楽そのものの持つ振動に、魂のど真ん中が共振して、心が純化する。
演奏後、バックステージにお邪魔させていただき写真を撮ったけど、
わたしの顔が子どもに戻っているw
共振。
すごく深い、この仕組み。
キャッハー!な人は、キャッハー!な人と共振する。キャッハー!な現象を呼ぶ。
文句ばっか言ってる人は、文句ばっかり言ってる人と共振する。文句を言いたくなる現象を呼ぶ。
それがキャッハー/ノンキャッハー・スパイラル。
振動数が変われば、それまで合っていた人とも合わなくなる。
キャッハー!でありたければ、ノンキャッハーにはつきあわない。
まあ、それだけのことなんじゃないかと思うんだよね。
とかなんとか。
読んでくれてありがとう!
またねー!