当初、こんなことを言っていたのですが
小野田さんが「そっちじゃなくて、奈良にしない?石なんとか神社」と言うので
へ?石上神宮のこと〜?
と、彼らにはわたしと物部の話を全くしていなかったからビックリしつつも、かつ、秋分の太陽のことが気になりつつも、
じゃ、そっちにしよう!!と急遽変更になった。(ごめん大江山の鬼さん、また今度ね!)
よくよく考えたら、この彼の選択というかひらめきは素晴らしく、前回から相談を受けていた不調のことで、「どこか相応な神社でご祈祷もありなんじゃないのかな。どこかな、伏見稲荷かな、、、、」などと考えていたわけで、ヤダーーーー、それなら石上でやってもらおうよ!!!ということになった。
そういうわけでわたしにとっては思いがけずの拝殿イン、そして祝詞一式を生で聴けるチャンスが到来した!
「布留社」なんだなあ。
やっぱりここは「ふる」なんだなあ。壮大な時代行列らしい。
それなのに扁額は「布都御魂」となってる。これ何かプチ裏があるのだろう。
しかしわたしは境内入ったら顔がニッコニコになってるのを感じた。こんなのはローマにいる時ぐらい。ほっといても口角上がってる😀😀😀
ニワトリ軍団、羽が綺麗。よく見るとおかしな顔してはる。
元々は拝殿を持たない、神域(禁足地)だけの神社だった。今ある拝殿がわたしの好きな角度の反りを持つお屋根で美しくてせめてもよかった。
お祓いは修祓を受ける前、神官が大麻(オオヌサ=あの白いヒラヒラがいっぱいくっついてるやつ)を何かした時点で、わたしは何やらふわっと軽くなって呼吸がしやすくなった。ほーーー、すごいなあ、、、といちいちチェックしていた。
拝殿の奥のお屋根の木々で隠れているところが禁足地。塀の隙間からあいほんでどうにか玉垣だけ確認できた。
「天神」とは何か、という問題がわたしの研究課題に上がっている昨今、かなり示唆に富む摂社の看板。つまり天神とは道真センパイではないんだよ、本来。
今までどこでも見たことない灯篭のシンボルが多かった。
これは太陽?違うと思う。
出てる腕が10本だから、「十握剣」か、あるいは「十種神宝」のこと〜?
この先も禁足地。祓戸大神ということになっている。
神宮は拝殿ほか建物の配置だけ見たらこじんまりしているように思うけれど、東側に位置する森や、今は天理教になっている「布留遺跡」とか「三島神社」のあたりも全て石上の広大な領地だったのだろう。
どうでもいいけど京都から奈良に入るとギャップがすごかった。今まで考えたこともなかったけど、はーーーーーーーーーー、こういうことかと思った。
>>>>続く