はーーーーびっくりした!
昨日こんな記事を上げたわけですが、
この中で言及した、あまにもマニアックすぎて誰も興味ないこの話。
宮内大臣土方久元
そう!これは先日noteに書いた、大石凝真素美の生涯において、https://note.com/kaorissima/n/n28a8ad4a0dda
宮中某重大事件につき宮内大臣土方久元に書簡で進言するも、葉書であったことが法に触れて津裁判所にて取り調べを受け、裁判長にたしなめられる。
とあったではないか!!!!おーーーーーーーー、まさにその人だ!(誰ともシェアできないたった一人の熱狂)
今、玉ちゃんの記事を見ていたら
また出てきた!!!!!!
しかも「大日本皇道立教会」メンバーだったんか!
しかも、え〜〜〜〜〜〜〜?土方の下にある千家と言ったら、出雲国造じゃん!頭山満は玄洋社。いやいやいやいや、すげえな、、、、そういうメンツとソーカ学会。
いやいやいや、、、、日本を裏で動かそうとする者たちの魑魅魍魎。。。。
大日本皇道立教会についてはこんな記事が面白いよ。
そして土方久元の孫は共産主義者になったって。宮内大臣の孫がプロレタリアって、なんとまあ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%96%B9%E5%AE%B6_(%E4%BC%AF%E7%88%B5%E5%AE%B6)
彼は「土方与志」の名義で活動していた演劇演出家で、やがてプロレタリア演劇を通じてソビエト連邦に傾倒。訪露して日本で共産革命を行うことを宣言したり、当時コミンテルン日本支部だった日本共産党に資金援助するなどソ連シンパになるに至ったため、宮内省の審議の結果、久敬は華族令第24条「華族の体面を汚辱する失行ありたる者」に該当するとして、昭和9年(1934年)9月3日に土方家親族に対して爵位返上の手続きをとるよう要求した。これを受けて9月20日にも土方家親族は土方家の爵位を返上した[5]。久敬当人はその時ソ連首都モスクワに滞在していたので日本にいなかったが、昭和16年(1941年)に日本に帰国した際に横浜で治安維持法違反容疑により三田警察署に逮捕され、後に裁判所から懲役5年の判決を受けた[6]。戦後も日本共産党に入党して日ソ文化連絡協会会長などを務め親ソ派として活動した。久敬の息子である敬太(大正9年9月9日生、平成4年12月28日没)も日ソ協会副会長を務めるなど親ソ派として活動した[4]。
ま、ほんっとうに、最初は意志ある者が集まって、そこに別な意図あるものたちが乗っかって、それをまた利用しようと画策する者たちがいて、利用し合うことで拡大し、次第にめっちゃくちゃな様相になっていった激動の経緯を経て、今というこのどーしょもない現状が作られたわけですな。それが政治というものでございましょう。国なんてそんなものでございましょう。
だから今、目に見えることだけ、報道されてる表面だけ見てガタガタ言ったところで、な〜んの意味もございません。この世の中はすべてそう。政治ってそういうもの。
ウクライナとロシアが争っている、な〜んてアホみたいに単純なものではございません。
どーでもいいけど土方久元。
大石凝真素美の話を調べなかったら知らなかった名前。それで引っかかってたから富士山麓で見つけて写真撮った。
折しもその日は池田大作死去が「公式に」発表された日。(実際はとっくに亡くなってるよ、俺がまだ品川にいた頃だもん)
土方久元は大日本皇道立教会で、そこには創価学会の創設者もいた。なんですかこの流れ。
こーゆー偶然て、絶対なんかある。俺の場合、特になんかあるに決まってる。しかし、何を掘れというのか!
で、さっきからこの件を調べると、体になんか反応出てるんですけど、これ如何に?
さらにどーでもいいけど、うちのDN、苗字は土方😆😆😆😆😆😆😆😆 しかし一切関係はございませぬよ。あーよかった🤣