いやーーーーー
こないだAmazon Musicで「買い直すほどじゃないけど懐かしいやつ」聴いてた。
めちゃくちゃかっこいいと思っていたNew York City Nigts(レイフの歌はへたっぴだけどw)が
その後「哀愁でいと」という名前のくそダサい曲として日本に紹介された時の衝撃まで思い出した。
まあ、今にして思えばレイフもトシちゃんも同じぐらい歌うまくないw
どうでもいいけど、わたしの葬式は音楽葬にしてもらいたくて、オープニングはこれがいいと思ってる。
このイントロのダサさ加減といい、歌詞のくだらなさといい、最高だ!
くだらなくて笑えるのがいい!
そんな話はどうでも。
あいほんに入ってる去年の今頃の写真。
父が死んで、正月過ぎたから親戚で銀座に集まった写真の母まるちゃんの顔。まじでやばい。
本人のために載せないけど。
この集まりに出て、「このままでは母がまじやばい」と焦燥感を募らせたわたし。直感的に「このままでは変な死に方をする」と根拠なく思った。何かとんでもないものが迫ってきている、と感じていた。
席上でも、母とは離れたところに座り、会合が終わっても、同じ路線で帰れるのに別々に家路に着いた。
「中国ではなんか変な風邪が流行ってるみたいねえ、、、」などと話題にしていた頃だ。
そしてその後、藤圭子のボックスCD(ほんとうに素晴らしいよこれ!)を買い、ゴッドファーザーのDVDセットを買い(マイケルよりやっぱりヴィトが偉大だ)
その後、マリアグリッドが生まれた。
というあいほん上での流れ。(なんだそれw
そして今、母はオバハン仲間と楽しそうで、
今朝は、近所の飼い猫がいなくなった件のチラシを見て、「心配になったからそこんちに電話したのよ」と言ってきた。
やばい状態だった過去の日々では、わたしのねこ「ころ」が行方不明になったと言っても「ふ〜ん」。
帰ってこないから半狂乱のDNと、町中にチラシを貼り(今思うとよくあんなことができたなあ、と思うような涙ぐましい活動)
「猫探偵」というものまで雇い、日夜猫探しに行き、毎日寄せられる情報の電話に右往左往したり、見ず知らずの人にかけてもらう心配の声などに涙したり、という話をしても
「ふーん、もう帰ってこないわよ」と言い放って話を終わらせた人と同一人物とは思えない。
今は顔も変わった。
顔が変わるといえば、
グリッダー仲間でも、どんどん顔が変わっていることに気づく。
中には、誇張表現なしに「別人」な人もいる。
それで、そういう人たちの、どんどん夢が夜ひらいていく様を見ることがこの上なく嬉しい。
夢は、実際に夜ひらく。
多分、「夢が夜ひらくモード」になるためのカギが、神聖幾何学とクリスタルだ。
マリアさまは、そこに、どこにも偏らない無条件の愛を加えてくれる。
だから魔術的にならないのだろう、と密かにわたしはヨンでいる。
ありがたいねえ。あの人は本当にすごいねえ。
人は顔がすべてだ。
美醜を超えたもの、魂情報が、顔には表現される。
「人を顔で判断してはいけません」と言うけれど、わたしは顔がすべてだと思っている。
あんなに美しい藤圭子さまも、亡くなる数年前に騒ぎになったギャンブルの件で、テレビ画面に写ったその顔はやばかった。
負に飲み込まれた人の顔になっていたことを思い出した。
人がもてはやしている人物でも、わたしは「顔が嫌い」という自分独自の判断を大切にしている。
で、後になって「やっぱりねー」は続々と出てくるから、わたしに装備されたこのアンテナを大切に思っている。
まあ、こーゆーことなんだよねえ。
「顔」についてよく表してる。
で、あなたの顔も絶対に変わります。
ということは、強く言いたい。
負のコードを断ち切ればいいんだから。
切れるんだよ。自分で。
まじで「切るよ!」と決めるとことからすべて始まる。
これ、やってます。めちゃくちゃ好評だよ。
ほなまた!