先日から開始したマリアグリッド「東北キャンペーン」。
早速ご依頼をいただいたのが、福島県郡山市内のお宅。
お宅エリアはどんな場所なのかな?
パーソナルグリッドであるからには、この土地についてわたしなりに調べるのは当然のこと。
親友Googleマップさん。寄ったり引いたりして、なんとはなしにある神社にフォーカスした。本当に、特に意味なく、フォーカスしただけ。
その神社とはこちら。「ふくのまちの鎮守さま」というのが、なんとなくかわいらしいなと思っただけ。
でね、その神社の由来を見て、愕然としたんだよ!!
豐景神社は、前九年の役の折、当地を通過した鎮守府将源頼義・義家父子により苦しんでいた里人を救うため、天喜四年(1056年)に五穀豐穣の神である豐斟渟命をお祀りする「御霊宮」として阿武隈川沿岸の福原の郷に創建されました。
その後、後三年の役の折再び訪れた源義家の命により家臣の鎌倉権五郎景政公により渦の元凶竜蛇が退治されました。その功績に感謝し、天養元年(1144年)に合祀されました。天正十六年(1588年)の郡山合戦により社殿は消失し、元和二年(1616年)奥州街道の整備に伴い現在の地に遷宮されました。寛保二年(1742年)には、神祈官令により正一位の神号を授けられ「正一位御霊宮」となりました。明治元年(1868年)の神仏分離令の施行により御祭神である豐斟渟命の豐と、鎌倉権五郎景政公の景の二文字を頂き現在の「豐景神社」と改称され現在に至ります。
ここでまた権五郎に出くわすとは!
って、鎌倉権五郎景政というのは、まあこういう人なんだけど、要するに鎌倉の開発領主で、日本史上、勇猛果敢なことでそれなりに知られた武将であります。
そして、わが坂ノ下の鎮守は「権五郎神社」そのものであります。我が家から徒歩3分。
今年2月、高松で由良山に行った時にも権五郎に捧げられた土俵があるのを見つけて大いに驚いたわけなんだけど、どんだけ縁深いんだ!
でも、それもそうだし、わたし「前九年の役・後三年の役」って、ほとんど何も知らなかった。
「それによって源氏が決定的に関東以北での勢力を拡大しました」ということぐらいだわ、、、、って反省し、慌てて調べた。
と、ここで気になるワードが、俘囚長(ふしゅうちょう)安倍氏。
俘囚、すごく簡単に言うと、縄文系の流れ。エゾ、エミシ。和人(ヤマト)ではなかった人たち(この話になると長くなるから割愛)。
それで、神社の由来「鎌倉権五郎景政公により渦の元凶竜蛇が退治されました」ってあるけど、一体なんのことを言ってるんだろ?
しかも、景政伝説ってこんなにあって、片目を射られた話は有名だけど、各地で射られたことになってるし、なんか「寓話的な伝承」の匂いがする。
一体なんなんだろ。
とりとめなく、終わる。
ほなまた