親愛なる既知外の皆様、一気に春キタですね。
桜が咲いて、思い出すのは去年のこの時期のこと。
人生の残り時間がなくなった友達。桜が散るように、逝ってしまった。
いやーーーーーーーーーーしっかし1年早いねえ。
昨日はこの、亡くなったミサの元カレが鎌倉に来てくれたのでランチに。
夜はやはり鎌倉の、気の合うシェフ連中とで3月生まれの大人のお誕生日会。
昼と夜でまったく違うジャンルの話に花が咲きまくったわけだけど、
この男の子たちはみんなやさしい人たち。
気兼ねなくなんでもくっちゃべれるのは素敵なこと。
もーこの歳になるとね、「受容力」しか問題ではなくなってくる気がしている。
それは「安っぽい共感力」とは違って、オトナにしか持ち合わすことができない力なんじゃなかろうか。
本音と建前とかじゃなく、本音「だけ」でベラベラ喋って、でも結果としてなんか励まし合いになっている、、、みたいな。
ちなみにもちろんそれぞれオッサンだけど、なんとなくいつまでも「男の子」と言ってしまうよ。
しかしアレだね。
わたし気づいたよ。
昼の部の男の子はサラリーマン、夜の部の男の子たちは自営だけれど、
要するに男の子たちみんな、
なんとなく疲れている。
というか、普通に疲れは前からあっただろうけれど、
今となっては、もうこれ以上、無理を続ける意味あるんだろうか?
ということに、気づき始めてきたんじゃないか、、、、って思った。
でもこれ、本当はいい傾向なんじゃなかろうか。
これまでなら、「男は泣き言言うな!」という社会的教育の前に、
多少アレでも無理やりエンジンをふかしていたと思うけど、
もはやそンなことする意味あるんだろうか?って、まだ余力を残したうちに考えられるのはマトモな証拠だもの。
周囲に、鬱になる男性は多い。
彼らだって経年変化として男性ホルモンの出力低下ってゆーのがあるから、
それが突然下がると、一気にバランスを崩すってことになるみたい。
もちろん精神生活の中に溜まったゴミとか、負の影響とかも関わってくる。
男の子だからって、無理すればいいってもんじゃないし、
そうはいっても「無理する」のが彼らのデフォルト値でもあるから、
無理してる実感がないのも男の子の気の毒なところ。
その辺は周囲の女性陣が、な〜んとなく気を配っておく(よく見ておく)ことは大切だろうね。
その役どころは必ずしも、家族やパートナーとは限らないのかもしれないね。。。。
「インクルーシブな社会」とか、またもっともらしいコトバが出てきて、一体なんですかそれは?って感じだけど、
要するに、誰かが誰かを見守ってるってそーゆーことなんだろうね。
妻とか、夫とか、友達とか、恋人とか、パートナーとか、仲間とか、
「関係性」に満足な名前をつけて、定義づけされた間柄の中での「役割」って考えると呪縛を増やすだけだけど、
なんだか知らないけど、ふと自然に成り立っている、その時々の関係性っていうものが、わたしは素敵だと思うなあ。
ま、どんだけ本音で喋って受け入れ合えるのかって話がすべてだわな。
よく考えたら、男の子たちが参ってしまうのも、本音を吐けないからだよね。
「やさしい社会を目指して」などと掲げるよりも、やさしい人でありましょう。
それにしてもよく飲んだ。
じゃ、またね〜!