既知外の皆さま
念願の北海道、岩という岩を観る旅から戻ってきました。
余市の「フゴッペ洞窟」というものを知ってから、どうしても行きたいと思っていて、この辺りのことを調べたら、まあ〜〜〜〜〜すごいことすごいこと!
こんな感じで、小樽から余市、神威岬、積丹半島をぐるっと回って泊村から羊蹄山の麓まで行って一周。
小樽に住むお友達から「この沿岸部はかおりさん絶叫するよ〜w」と言われていて、本当に絶叫するために行ったような旅だったw
小樽には「青の洞窟」と呼ばれるところがあって、本当は、真夏にのんびり1日シーカヤックをやりたかったんだけど、
いつまでもクソ暑い関東平野と違って北海道の夏は短いw 日程決めるのにマゴマゴしてたらシーズン終わってしまいましたw
でもボートクルーズがあるので、3箇所でお船に乗って、岩という岩を見て心震えた。あまりにも圧倒的すぎて表現ができません。
人の作るものは陳腐で、自然の造形には絶対に敵わない。
人の話は退屈で、やがて飽きてしまうが、自然からの語りかけには飽くことなく聞いていられる。
そんなふうに感じました。
雄大な自然、うまいお魚、自然派ワイン、ニッカ竹鶴氏の熱き魂、、、、みたいなキレイキレイなものも存分に堪能しましたが、
とにかく北海道というところは、
炭鉱、ニシン、旧日本軍
という近代を抜きには語れないんじゃないかなーという気もしました。
わたしの父は北海道で生まれて、小2ぐらいまで住んでいた。
父の父(つまり祖父)は上砂川の三井鉱山というところで、炭鉱の現場指導者だった。時代の軍需産業ですからそりゃあもう、大変なことだったと思います。父の母は、明治に起きた奈良県十津川村の大洪水によって村が壊滅し、北海道に入植して新十津川村を作るにあたった旗振り役の家系でした。
祖先は本当に大変な困難を乗り越えて生き繋いでくれ、いま自分は雄大な岩を見てぽかんと口を開けている。誰の祖先も皆同じで、とんでもない困難を生き抜いたからこそみんなが存在している。
人類史の、でっかい1タームの終わりという今、わたしの関心は、未来よりも明らかに「いにしえ」に向いています。
「昔は良かった」でも「あの頃に戻りたい」でもなく、人類はいったい何をしてきたのだろうという自分なりの総括という感じで、ある意味「終活」の一環でしょうかw
それで、結局やっぱり
「変わらぬものは古代文字」
という例のフレーズに、全てが集約されているんじゃないのかなあ、、、、という不思議な感慨を得て、帰路に着きました。
これからボチボチ写真載せて行きます。
岩の写真しかないから、つまんない人にはクソつまんないと思うよWWWWWW
ではでは!