既知外の皆様
何やら緊迫感高まってきてますね。
あちこちで言われる「年内に、何かある」。
12月だと思ってましたが、もしかして前倒しで11月かもね。
前にも言いました通り、わたしは「備える派」。
今日は、ヨウ素剤について調べました。
いや〜〜〜、この数ヶ月で、アホみたくお金を使っている。
絶対生き残ってやる!とかのモチベーションが全くないくせに、なんでだろ?
ひょっとして、これすら自分内エンタメなのではなかろうか。ちょっと面白がっている。
これについて考えてみたんですけど、わたしはこーゆーこと自体が好きなんだ。ちょっと「祭り」にも似た感なんですよね〜
ちょっと言い方アレですけど、なんかワクワクしている自分も発見しているわけなんですよ。
・・・・いやいやいや、これで何もなかったらバカみたいじゃんw
いやいや、祭りって単にアガるじゃん。
そこで降りてきた言葉が
「バカの方舟」。
バカが「もうすぐやばいことが起きる。備えよ!」と神に言われたものの、
備えてるものがことごとくお門違い(あれ〜〜〜????)
みたいなお話。
(独りじわじわとウケる)
いや〜実際ね、
横須賀基地めがけてなんか飛んできたら、一発はその辺に落ちるかもしれない。
そーなりゃあなた、いかに大仏様とて、我々を守ってはくれまいし、蒙古軍の来襲に、全国の武士を動員して国を守った北条時宗みたいな人もいない。
(言っておきますけど、神風が吹いて助かったなんて本気で思ってる人は九州にいないと思うよ?村上水軍とか松浦水軍とかの活躍で、ちゃんと防塁つくったりスゲー対策講じて戦術的に優れてたからの勝利であって、風が吹いて偶然助かった!みたいな話じゃないのさ)
そんな折、相模湾に地震でもきたらあなた。さらに富士山でもブリッと始まったら。
・・・・・まあ、そんなことを考えるとですね、
わたしもなかなか面白い人生を送ってきたよな〜、いや〜なかなかいい人生だったよ、、、、という風に、かなり真面目に人生を振り返ったりもしているのですよ。
特に後悔すべきこともない代わりに、
あ〜あ、結局たいしたことは何もできなかったな〜
という、極めて冷静な感想を持つに至り。
後半、ここへきてこの10年間、何かをわかったような気がしたものの、「気がした」というだけに過ぎず、な〜んもわかっちゃいないに等しく、
自分ほんとちっぽけだなーーーーーーーーー
と本気で愕然とする日々でありますことよ。
引き換え、
時々録画している「土地に根付いて暮らしている人々のお話」系のドキュメンタリーを見ては
人の暮らし、生きざまがあまりに美しく、あまりに立派で、号泣したりしているわけでございます。
思うに、美しくて立派な様っていうのは、風雪に耐えてきた松のようなものではないか、風も吹かぬ、雪も積もらぬ松ならば、大した姿にはならないのと同じなのではないか。
何もかもを苦労なく与えられ、利便性の限りを享受し、ありとあらゆる栄養をとって生きることが、美しくて立派なさまに通じるのかというと、全然そんなことはないんだよなというふうに、
非常に多くのことを思うわけでございます。
今日は、北海度は礼文島に暮らす人々の生死に寄り添うお医者様親子のお話を見て号泣。
出稼ぎ先の名古屋で桜の美しさに触れてから、島のみんなに見せてあげようとたった一人で桜の森を作ったおじさん。余命いくばくもないけど、命がある限り桜の世話をすると決めている。
おじさんとお医者様の人間としての尊厳で結ばれた真の信頼関係。死を迎える直前に、蕾をつけた桜を見せてあげようとするお医者様。おじさんはそこで菅原道眞のお歌をもじった辞世を口走る。
人間の持つ美しさ、何かとてつもなくスケールの大きな無償の愛ともいうべきものを感じさせられて、強く胸を打たれた。
そして思うのが「ああ、世界にはこんな立派な生きざまの人々もいる。翻ってわたしはちょっと情けない」という率直な客観視であります。
会ったことも無いこういう人たちから学ぶこと感じ取れることは、巷の精鋭学者や評論家の話よりはるかに大きく、
この辺の、生活環境が穏やかで、大抵の物資は何を苦労することもなく手に入り、因習もなく、のほほほほんとしたところに生まれて、
特に志もなく、何もなく、あーほんとに何だったんだろ、俺。
自分の人生そのものが、バカの方舟だったんじゃないか。
そんなふうに思ったりするわけであります。
「良い人生だったけど大したことはしなかった」それがわたしの人生の総括かもしれない。「大したことはしなかったけど良い人生だった」とはぜんぜん違う。
人はやっぱり、どうやっても自分以外の者になることはできないんだなということ。
これがなにか、卑屈な気分とも反省とも自己嫌悪とも違う、なんとも言えない「何か」で、
逆にこれがすごく大事なことのような気がしているから、「そんなことないよ〜」などと言ってもらいたくもない。
あーーーーー。むしろこの境地は、自分がやっとたどり着いた場所なのかもしれないぞ?というふうにも思っている。
この先も、生があるとしたら、これを踏まえてどう人生を捉えていくのか、、、、
ある意味、それがレザレクションなのかも知れないなあ、と
焦りもなく、とりとめもなく、とめどなく、何かを考え続ける日々でございます。