この安定しないお天気。はっきり言って「梅雨」でしょこれ?近年の気象変化に従来の梅雨の定義では追いつかないんだと思う。
もはやマイクロ農業家、ナノ農園のワタクシにとって、「お天気」は非常に厄介なもの、常に気にかけなければならないのであります。
なぜなら豆類とかトマトはあんまり水を与えたくないからなのよね〜。
それにしても。
「晴耕雨読」というけれど、それが理想の暮らしスタイルだと最近しみじみ感じるようになってきた。
お日さま出てる日中は野菜の世話をし、、、世話というのもこれまでに培ってきたエネルギー原理のすべてをぶち込んだ実験をして、またそれぞれの野菜の生育状況や土壌の状態から新たに心ふるえる学びなんかを得たりして、そうすると手を動かしてつくるもの、中でも特に最近は「玉」のシリーズがバージョンアップしていく。
そのようにして生み出したもので、人の身体とたましいを癒し、対価をいただきながら、また学びを深めさせてもらえる。
(全然発信していないけど、今は対面施術に「玉」を使うことで、より深い改善ができるようになってます。ちょっと前ならいちいち驚いて「聞いて聞いて!」ってなったかもだけど、最近は淡々としているだけなのよ)
「人間も自然の一部です、人間と木は同じです」は、どこかで目にした知識ではなく、感得してこそ使える知恵であり、チカラ(エネルギー)。
また雨の日は好きなだけ本を読んで、それがまた一つ、神秘の扉を開けることになったりして、繋がらなかったいくつかの疑問がきちんとリンケージされ整列されていく。それもまた心ふるえる学び。
そこにもまた、関心を寄せてくださる方々がいて、お話を披露させてもらえる。
自分の中で、すべてが確実な輪っかとなって、循環している。
それは本当に素晴らしく幸せなことだなあと思ってありがたく、しみじみする今日この頃です。
昨日、友達が「質を生まないなら、ただの手数」と言っていて、ああ本当にそうだなあ〜と思った。
手数が多いと、物理的に「忙しい」ってことになるけど、ただ忙しいだけのことが質を生むとは思えないので、その意味では時々雨が降ってくれることもまたありがたく、嫌いな雨も、また愛おし。
同時に、「人がかけてくれた手数」にも敏感でありたい。そしてその方々への還元をきちんとできるようになりたい。
ではでは、
お付き合いいただきありがとうございました!