既知外の皆さま、本日も明けましておめでとうございます。
近現代史の講座を金曜日にやろうとしたがなんか頭がクラクラして延期にしたんだけど、それも今振り返ると「伝える順番が違っとるよ!」という指導だったのかもしれない。
木曜日の夜中にある動画を見て、「この話をしなければ!」と緊急的に思い立ち、金曜は資料もなしに喋る会をやることにした。そしたらzoomアカウントにログインできなくなり、話そうと思っていたことの内容が内容だけに、実際かなりびびった挙句、苦肉の策で40分しか接続できない無料アカウントにて配信するしかなかったので、ブツ切れで一切落ち着いて喋れずグダグダになってしまった。
ま、それはそれで面白く、結構な深夜までおしゃべりが続いたんだけど、後日視聴の方のためにきちんと録画収録したかったので、昨日再度開催することに。これもおしゃべりは深夜まで延々と続いた(所期のテーマ部分に関して安心して落ち着いて喋った動画をみなさんにはお届けしてます)。
あー、逃した人はしばらく受け付けますので、ここから申し込んでくれたら動画URL送ります。
みんなに思い出して欲しいのは、時間というのは、過去から未来に向かって流れていると見せかけてそうではないということ。
今、日本は存亡の危機です。これは冷静に見れば誰だってわかること。
極端な少子高齢化、集中的なお注射の執拗な投与と人口の減少。金融産業、メディア産業、基幹産業のほとんど株主が外国資本。世界を席巻するレベルのベンチャー出ない。教育現場の惨状と子供の学力低下。極端な言論統制。考えることをしなくなった従うだけの国民。伝統は失われ、農地は奪われ、ソーラーパネルに取り囲まれた山林、水源は外国に買われ、そのうち通信も買われ、国民の資産も奪われる。もはやどこを向いているのか露骨に明らかになった政治。存続が絶望的な天皇家。
明治維新以降、日本は背骨が抜かれ、敗戦後、さらに入念に小骨まで取られて今は切り刻まれ、さらに煮込まれている。。。
というのが「現時点」。
この現時点が作られるために、過去の出来事があったわけ。だから少なくとも「今」を起点に直近の過去を見ていく試みを、時間の許す限りはしばらく続けていこうと思う。昨日の話を知った上で、近現代を知ってもらえれば、より繋がりがわかると思う。
しかし、昨日話しながら一方で考えていたのは、
わたしたちは過去のすべてに別れを告げるために、もっと正確にいうなら、過去のすべてを赦すために、歴史を学んでいるってことなんじゃないか、ってこと。
この世界では良いでも悪いでもない。また、この世界には「致し方ない」ということだって多々ある。白か黒か選ばなければいけない、グレーでは許されない状況、許されない立場だってある。
そんなことを俯瞰で観れるようになったら、それが本当の先祖供養かもしれない。
歴史というのは人類史。この、過去数千年のわたしたちの歩み、稲作と鉄器、そして文字と貨幣がもたらされてから、わたしたちは神を忘れ戦いに明け暮れてきた。これ以上続く必要がどこにある?
「現時点」はその極み。
実際、それがいよいよ終わろうとしている。この長いタームが、一新されようとしている今、この数千年の過去のすべてに決別する時。淡々と見つめて、別れを告げる。
極まったから、新しい次の世へ。この未来のために、「現時点」が存在している。
未来に起きること、予定されていることの予測が、「悪いことが起きる」話だと思う人は、今後もずっと二元性の中でもがいていくことになる。
きたるべき事象を「悪いこと」だと捉えるのなら、それはその人の脳がそう判断しているだけ。
「二元性から抜ける」はりーかお総研として何年もずっと言い続けてきたことで、抜け出し方も解説してきた。それが各自の腹に落ちているかどうかが試される時になっている。
真のポジティブさとは、どんな状況でも自分にできる最良のことをすること。何をすべきか自分で考え、一人で実行できること。
その前に、「たった一人で実行できること」を持つこと。
過去分析あるいは未来予測で絶望するかもしれないが、絶望してからが真の目覚めのはじまり。癒しの時代はとっくに終了している。これからは目を開く時。
昨日の会の後、深夜だというのに、またもや偶然見つけた原田武夫さんの配信を見てしまい、心の底から納得いった。
この人のくどいオタク的な喋りとゴリゴリ営業はクセ強すぎるけれども(笑)、話しいてることに価値があるから我慢して聞くといいと思う。(動画は最初の退屈な部分を除いて聞くべきところから始まるように貼り付けたよ)
すべて完璧に納得いった。100%よくわかった。よかったな、自分。さすが俺。この数年の経験と方向感はバッチリ合ってた。
これから金融資本主義は変わる。
昨日の会でわたしは、「今後はお箸でものを食べる国々は連合したら良い」と言ったんだけど、それに重なる話も出てる。人類の進化と「脳」の話も出てる。最後にやっぱり「日本語75音(75声)」の件に言及していて、おそらくある種の人たちはどこかから同じ情報を伝達されているのだろうと推理しているのだけど、わたしの場合は誰の入れ知恵でもなく、勝手にたどり着いたのも面白いものだなあと思った。わたしを誘導している存在がいるんだろう。
まーーー、とにかくもうハンパな能書きは役に立たない時に来ている。
大事なのは「聞いたことあります」より「知ってます」。「知ってます」より「やってます」。研鑽積んで「わかってます」だと思う。
少なくとも、みんな揃って祈りましょうより、各自勝手に手を動かせって方が何倍も重要だと思う。
たった一人でやれることを増やすこと。検索しなくてもできることを増やすこと。
そんな感じ。