「自粛期間」に、ひょっとして”Twin Peaks The Return”(2017) の無料放送とかあるんじゃないか?と閃いて検索したところ、そんなもんはなく、むしろすでにDVD化されとることを知ったので即買いしてやった。
当然ながらわたしはリンチのファンだし、90年に公開されたやつもDVD持ってる。
見始めたら、9枚しかないディスクが終わってしまったら・・・と考えただけで「ロス」になり、あえての一気に見るのはやめとこう作戦。
一昨日かな、第8章まできた。
ものすごい衝撃だった。感動と言ってもいい。
これ(ツインピークス全般)に関して、先にネタバレとか解説とかを見ることなしに、視聴に「取り組む」べきだ。
てゆーか、芸術作品なんでもすべてそうだと思う。インスタントに「答え」を得てから鑑賞するなんて、何も得ることないからやめたほうがいい。
ちなみにツインピークスは、「奇想天外なサイキックワールド」でもなければ「ホラー」でもなく、あえて言うなら「超スピリチュアル」だ。
もし「スピ大好き♡」などと自称していて、これを見て理解できなければ、魂の仕組みもパラレルワールドも知らない、抽出表現を読み解けない「レベル」(あえて言ってます)だということを自覚したほうがいいと思う。
90年の公開当時のわたしには、多くのことが謎だった。
そして2年前にDVDで見直した時、謎はすでに謎ではなくなっていた(ことにむしろ驚いたが)、すべて精巧に、入念に作られた魂の仕組みの話だったと膝を叩いた。
そして思った。
デイヴィッド・リンチ。この男すごすぎる。
25年の年月が流れて戻ってきた「The Return」の第8章は、わたしに言わせりゃ「2001年宇宙の旅」の次元越えの抽象表現のシーンに匹敵するレベルで感動した。
内容に関してはここでは触れない。
そして思ったことが、本日の掲題の通り。
果たしてこのシーンを見て、全世界、いったい何人の人が正確に理解できるというのだろう。
当然ながら99.9%の人間には理解不能だろうと思われる。
多くの娯楽作品は、理解されることを意図して作られている。けれどただでさえ「難解」と言われるリンチのこのシーンは受け手への媚を排除した、徹底的な表現だ。
74歳のリンチは、いつまで映画製作(というか、「表現」そのもの)ができるだろうか?ということを当然考えているだろう。
ということを鑑みた上で、思ったのは、彼はこの先品にとてつもないメッセージを込めている、ということだ。
もしリンチが「誰にでもわかるように」という意図を入れて作ったらこのシーンはこうではなかっただろうし、作品自体が退屈でチープなものになっただろう。
もしかして今は誰も理解できないかもしれない。
たいていのことは後になってからしか、わかられないものだ。
そして偉大な人間の場合、さらに芸術家である場合は特に、没後何年もしてから、「再評価」という形で脚光をあびる。
多くの人間は、「その場で」理解したがり、理解できないことの答えを安直に求めるか、放棄する。
また、「自分が理解されない」ということを恐れたり、気に病んだりして、説明や釈明に躍起になる。
でも実際のところ、すぐに理解できてしまうものなんて、面白くもないし大した価値もない。「すぐに」理解されたぐらいの速さで、すぐに忘れられる。
この話は「芸術」や「芸術家」の話だと思っているかもしれないが、
あなたの話をしている。
人が生きるということ、それ自体が表現であり芸術であるということを忘れすぎているようなら、直ちに思い出してほしい。
人の基準に合わせて生きようとしているから辛く苦しいだけ。
説明や釈明に割く時間は人生の無駄だから、群れから離れて自由に走ればいいと思う。
それをしない限り、いつまでも釈明に明け暮れるまま、人生の幕を閉じるよ。
読んでくれてありがとう。
またね!