あまりにも感動的な「断層と磐座」の旅。
記録しておこうとは思うものの、ひとたび坂ノ下に戻れば、もう書く気が起きない。
わたしの脳内ノート(実際には脳内にはない)にはびっちり新たな情報が書き込まれたぜ!
でも他の人には見えないよね。
けど、他の人に見せる必要がどこにあるのかわからなくなってきているし、
それがいいことなのか、悪いことなのかといったことさえ、一切気にならない。
最近思うのは、「情報」とは文字や言葉によって伝達できる種類のものと、全然そうじゃないものがあって
わたしが大事にしているのは圧倒的に後者の方だってこと。
感情的な共感より、振動数、グルーヴの共鳴の方がはるかに大切。
それに年々歳々、記憶というものに対する執着が薄くなり、
ここへきてますます同じ感情を保持することが難しくなっている。
だいたい、保持してると次に進めない。
わたしは奥に進みたい女。
旧日本軍みたく、誰もいないジャングルの奥地へ進むイメージ。
形のない扉を開けまくりたいイメージ。
(わたしにしかわからないイミフなイメージw)
体験とは、その瞬間に湧き上がる歓喜や興奮、喜び、驚きや畏敬、そして感謝の念、、、
そーゆーものだけが自分にとってプレシャスなことで大事。
ことってゆーより「瞬間」だな。
で、それ以外は本当にどうでもよくなってしまった。
あくまでも自分自身はどんどん空っぽになっていってるのを実感する今日この頃。
例えて言うなら
わたしがもし財布だったらw
中に、お金はあんまり入っていない状態だけどまったく問題ない状態。
ま、せいぜい、お札が1枚入ってるかなぐらい。
コインは重たいからいらない。
でもまったく問題ない。
だって必要ならATMで下ろせばいいじゃん。
お金なんか無尽蔵にあるんだから。
それを常に持ち歩く必要ないじゃん。
まー、そんな感じ。
わかります?
わかりにくいw
俺にもわからないw
いやー、とにかく素晴らしい旅、素晴らしい体験だった、としか言えない。
デジタルデトックスにもなった。
FBとかなんとか、ほとんど見なかったけど、実は一切問題なかった。
問題ないどころか、まったくよかった。
いやーーーー
素晴らしかったよ。
人は肉体を持っている以上、肉体を使ってこそナンボだと思う。
ぼちぼち写真でも紹介してみよう。
(と思ってはいる)
そんな、旅の記録の前書き。
ほなまた