このところけっこう考え込んでいる。
なにを?ってわけじゃなくて、かなり考え込んでいる。
「橋田壽賀子死去」って、なぜかどういうわけだかDNが2階からメッセで送ってきたことにウケたんだが、
そーいやピン子さまって最近見ないけどどーしてんのかな、と思って検索した。
よく考えたらわたしがテレビを見ないだけなので、「最近見ないわね」って、世の中の舞台やら画面やらで活躍する人全員を「そういや最近見ないわね」なわけである。
そんで出てきたのがこの記事。
泉ピン子さんからのメッセージ「誰のためでもなく、自分のために好きに生きれば悔いはない」
ね。このタイトル。
あたしだって全く同じようにそう思うから、いいこと言ってるのかと思って読んだ。
ちなみに後編だってあるよ。
そう、読んだ。
読んだんだよ。
でね、たぶん、なんかいいこと言ってるような気もする。いや、たぶん言ってる。
貯めてりゃビルでも建ったものを、「宵越しの金は持たない」の一点突破も清々しい。
でも、なんだろう。
なんでこんなにも、響かないんだろうって思った。
「我慢して生きないこと」
というメッセージだって、ほんと、その通りだし、わたしだってもし人にメッセージを求められたらそれ以外にない、と思う。
でもどうして、どうしてなんだろう、1ミリも、その、、、なんていうか、
なんちゅうか本中華(毎度毎度すまないねえ)。
なぜなんだろう。
(答えは依然わからない)
でもたったひとつ思った。
モノを追いかける人生。モノが幸せな人生。
シンプルで楽だろうな、と。
あ、もちろん、モノ欲を満たすために多大な努力をなさってこられたわけだから、それはそれはすごいことなのだろうと思う。
けれども、モノ欲などのためにがんばったりできない自分としては、ある意味でかなり羨ましい。
こういう、お金が人生の「コアテーマ」の人って、いる。
いーーーーつも、お金とか金額の話ばっかりする人って、いる。
大抵は幼少期の、お金によっての苦労と辛酸体験を、大きくなってお金を持つことで解消しようとするパターン。
だからお金を持っていること、シャネルやエルメスを死ぬほど好きなだけ買えること、
それができる自分は、それができなかった頃の自分を超えているし、
それができる自分は、それができない人より優れているし、
と潜在的にでも思うことで、得られる満足があるのだろうと推察する。
お金がコアテーマな人は、「お金問題」を解消するまで必ずお金につきまとわれる。
お金がなくて厳しい思いもする必要があったし、反動で大金を手にする必要もある、ということ。
人生を通してお金というものに徹底的に向き合わされることになり、それを通じてしか学べない(もちろん他の学びもあるけれど、一番大きな学びを得るのがお金を通してのあれこれ、という意味)ってことになる。
だから、ハタから見て、そういうのって虚しくないのかなあ、などと思っても、
それがコアテーマである場合、そういう設定であるんだから仕方のないこと。
でもお金への執着は、生への執着でもあるかもしれない。
「自分は贅沢のために、居心地の悪い場所に身を置きたくない。贅沢のために働くつもりはない」と言ってあっさり芸能界をやめてしまった藤圭子さまは、
お金を保持することの無価値性について学んでしまったのが、あまりに早かった訳で、
いつの間にか娘が大金を叩きだすようになり、懐にお金が転がり込んできても、でもお金に価値を置かないからゆえの豪遊の末に死んでしまった。
んーーーーー
でも圭子さまに悔いはないんじゃなかろうか。
いや、もちろん、誰しも人は死ぬわけである。
だからなんだって話ではない。
まーでも、考える価値のある話かとは思う。
何しろ、この先わたしたちが「当たり前」と思ってきた経済システムは根本的に変わる可能性が大きいからね。
で、今の子供達は、あらかじめアップデートされたOSを搭載されて、
次の世界で生きるような仕様で生まれてくる。
若い子たちはお金への執着がない人たちが多い。
で次の経済システムの想像すらついていない大人が、その子供達を教育しようとしている訳だが、
「生きる」ということに関して、果たして何を教えられるのだろうか。。。。と思う。
ほなまた!