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孤独死は悪なのか? 〜虚飾の中を生きた人


仲良くしている某寺のA和尚から連絡あり、我が実家付近にお住まいのある方(Xさん)についてなんだけど、、、、と切り出された。

即座に「亡くなったのだな」と察して、話の続きを聞いた。

 

Xさんは孤独死だった。姉がいるが絶縁状態。さらに関係性の悪い弟がいる。

この弟が何度か連絡を取ろうとしたが、応答がないので不審に思い、警察や市役所に相談し、発覚となった。

かように兄弟仲が悪いので、本人の遺言で死後の始末はA和尚に一任されていたため、昨日、現場を訪れたという。和尚はどこかに動揺めいたものがあり、誰かに打ち明けたかったのだろうと思った。

 

死後1ヶ月くらいではないか、熱中症か何かだろう。リビングで。コンクリートの瀟洒な3階建だったが、中はゴミ屋敷だった。ただ、一報を受けて覚悟して行ったんだが、「匂い」は、何もなかったんだよ。腐乱していなかった。食事を作った形跡がまったくなかったから衰弱死だろうね、、、、なんであそこまでになっちゃったんだろう、、、

誰にも知られず、ゴミの山に埋もれた最期をその目で見た和尚は、それをどう捉えていいかわからない、といった様子。

ふ〜ん、、、と聞いていたが、もしかして、それは意図的だったのではないかしら、とわたしは言った。

食べ物を作った形跡がなければ、どこかに食べに行くか、買ってきて食べるか、出前を取る。しかしその気配すらもなかったとしたら、それは即身仏と同じく、徐々に食べる量を減らし、木食、最後は水のみを摂取し、、、となるわけで、そうすれば体は綺麗だ。

和尚のトーンに「孤独死なんて、、、(気の毒)」という色が滲んでいたので、それはちょっと違うのではないかとわたしは思った。

 

「でもさ、わたし最近よく考えるんだけど、孤独死ってそんなに悪いことなのかしら、、、」

まあ、、そういう考えもあるね。

「施設に入って、管理されて、仲良くもない人と顔合わせて、欲しくもない食事食わされて、、、、て考えたら、自宅で好きにして、思うように亡くなることはむしろ幸せなんじゃないのかな。兄弟とも疎遠なら、友人知人とだって交流を望んでいなかったわけでしょう?」

ああ、、むしろそうか。。。。

「だったら、彼女らしい。ある意味素敵だと思うよ。立派にやり遂げたんですねってことで、いいんじゃないのかしら」

 

Xさんといったら、彼女を知っている人なら100人が100人、同じ印象を語ると思う。

「ああ、あの気位の高い人ね!」と。

綺麗な人だったが、一言で言えば要するに感じ悪い人だった。

そしてわたしとは、ある接点があった。母とは、もっとあった。

 

小学生の頃、書道を習っていた。Xさんはその先生のお弟子さんでもあり、アシスタント的な存在でもあった。わたしは「かな」を彼女に習った。

ある時、母が「あのお習字の先生のところにいるXさん、あれ多分、旧姓Yさんよ。鎌女(中高)で同級生だったもん。その辺でたまに見かけるんだけど、気づいてないのかしら、挨拶もしないのよね。今度聞いてごらんなさい。あんなに似てる人いないもの」という。

ふーんと思ってある日そのことを聞くと、Xさんは嫌悪感をむき出しにしてこう言った。

「Yなんていう旧姓じゃないわ!鎌女?ぜんぜん関係ない!わたしは東京で、大学まで青学よ!」

ぽかんとするわたしに、続けて「親戚には鎌女に行ってたのがいたけど」と付け加えた。

今思うと当時の彼女は30代、こちとら小学3年生。そんなガキ相手に放つ異様な剣幕に、「そうですか。母が似た方なものだからお声をかけたかったらしくて。すみません」みたく、ガキでも機転が利くものだからうまく流したものの「そんなに怒るような話なのかな」と思い、母に伝えると「ふ〜ん、世の中には似た人がいるもんなのね」で話は終わった。

しかし母のところには同級生のオバハン仲間がしょっちゅう出入りし続けているわけで、長い年月の中では我が家(実家)目指して歩く道すがら、Xさんとすれ違う人もたくさんいた。そのたびに「ねえ、さっきYさんらしき人にあったんだけど、、、」という話を母は聞くことになるわけだ。

 

何十年も経過し、今から10年ぐらい前のこと、ある葬儀の受付を手伝ったらXさんが来た。カードに書かれた名前は確かに彼女だったが、その感じの悪さは子供時代よりはるかに加速していることに驚いた。

当然、わたしは彼女を知っているが、向こうはわたしを知らない。当時は子供、今はわたしもオバハンだからだ。

この話を和尚にすると、「あれ???そう言えば、女房には鎌女だって言ってたような気がするぞ」となった。

そこで弟氏の苗字を尋ねると、母から聞いていた旧制のYさん、そのものだった。

そうだ。彼女は母の言う通り、Yさんで間違いない。年齢も、母と同年だった。つまり同級生である。

そして小さな学校だからすぐわかる、彼女は青学なんかに行ってはいない。

なんだか推理小説のような話だ。

 

ということは、きっと若い時代に、「なにか」があったのだろう。それを隠し通すことを選んだのだろう。

そのため兄弟とも決裂し、昔を知る者とも決別し、Xさんとしての鎧を身につけ、その後の人生を生きた。生き切った。

お洒落な籠編みに愛犬マルチーズを入れ、どこに行くにも犬と一緒だった。

犬をなくし、ご亭主を亡くされてから、きっと彼女は社会との接点を失ったのだろう。

そして虚飾の中で、その人生を全うした。

それはそれで、最後までやり遂げれば立派なものだとわたしは思う。

人は大抵、人生途中で自分の作り上げた虚飾が辛くなる。だから吐き出して、虚飾のドレスを脱ぐことで、ウソなく生きられることに気づく。

虚飾のドレスは重かろう。

しかし最後までそれを手放さなかった人に、哀れみの言葉は似合わない。それはあまりにも失礼だと思う。

そんな生き方もあるんだな。あの方らしくて、あっぱれだな、とわたしは思った。

母に伝えると「やっぱりYさんだったでしょう?そうか、、、お線香あげとくわ。頑張ったのねと伝えておくわ」と言った。

「鎌女の頃はうちにだって遊びに来たことあるのよ。お手紙ももらったわ。それはそれは綺麗な字を書く人だった」。

 

さかんに言われる「孤独死」は本当に可哀想なことなのか。それを哀れというのだろうか。

もちろん孫や子に囲まれ息を引き取る、その死に際して涙を流してくれる人がいるのは幸せなことだ。けれども、それが叶わなかったからといって、人がそれを「哀れ」と言えるんだろうか。言って良いのだろうか。わたしには甚だ疑問だ。

なぜなら実際問題、わたしだって順調にいけば孤独死が決定しているわけで、それを避けるために何かの対策をしようかという気には、今の時点であんまりならない。

食べ物を摂らず、体が綺麗になっていくプロセスで、もしかしたらXさんは感情さえも手放したかもしれない。

それゆえなのか、「妙な重たい気は、漂ってなかったんだよね」と和尚が言っていたのが印象的だった。

人にはいろんな生き方があり、決めて、全うする人はみな素敵だと思う。

 

 

でも、生きてる我々は、生きてるうちに虚飾から自由になることをわたしはお勧めします(笑)

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