既知外の皆さま
なんというか、恐るべき絶妙さをもったタイミングで、次々とものごとが明らかになり、ほとんど準備万端となって物部神社行きを迎えようとしているの。
あまりにもマニアックかつパーソナルな話なのでディテールは例によって得意の「割愛」ってことにするけど(だって退屈でしょそんな話)、とにかく驚いているの。
出雲初訪は2020年。その時は「富さん」が代々口伝を引き継いでるってこと「しか」知らず、わたしはただガキんこ時代からの製鉄に対する異常な興味があったのみ。はっきり言って、出雲神話どころか、古事記すらもまともに知らずに居たんだよ。
その状態で2年過ぎ、降って湧いたような今年の怒涛のぶっ込み具合。あっという間に、「だいたい、ほとんどわかった」まで持ってきた。
そんな自分がちょっと笑える。
でね、割愛に次ぐ割愛でスイマセンなんだけど、猿田彦ってね、ガネーシャなんだって。
要するに出雲族ってのはインド(広義)からユーラシア北上して、海を渡って、東北から入ってきたわけよね。ドラヴィダ人ということらしいんだけど。
そんで象さんていうのは動物の中でもエライ存在。ドラヴィダ語では突き出したものを「サルタ/サタ」って言ったらしいわ。
日本では突き出てるもんを「鼻」って言う。地図見てるとわかるんだけど、プチ岬みたいなのは「鼻」って言われてるわ。
どーでもいいけど、わたし、あまりに地図が好きすぎて、前世はきっと伊能忠敬に違いないわ!(新説登場)
そんで俺は昔から気になっていたのよ、山に行くとなぜか猿田彦の碑とか道祖神とか小さいやつあるじゃん。あれ何よ?と思っていたわけ。「道案内」とかなんとか言うけど、まー納得しないわよソレだけじゃ。
そんで、要するに国境とか、山道とかに「道の神」として設置したらしいのね。邪の侵入を防ぐってことで。
だから山には天狗がいるし、お祭りの露払いは天狗なのね。
これは我が坂ノ下の「奇祭」、面掛行列の様子よ。(この話もしたいけど、あまりにも長くなるから割愛するわ)
「ひょっとこ」ってのは「火男」で、口が曲がってるのはフイゴを吹いてるからよ。高熱で顔なんか爛れてしまうわ。タタラ製鉄よ。
で、この祭りは、、、、
って、・・・・・長くなるからやめるわ。
でさー、とにかく、「サイノカミ信仰」というものがあったわけよ。「幸の神」って書くとわかると思う。
幸といえば、男女の和合よ。決まってるじゃない。
この世で最も分離しているものが男と女なんだから、そこの合致がうまくいってりゃ世の中平和よ。
このことは人間の性生活(=生活そのもの)でも、陰陽というちょっと物知りぶった言い方しようとも、全く同じことよ。
ちなみに陰陽思想ってのは道教と一緒に持ち込まれたものだから、それより以前は「男女の和合」と言った方がわかりが良いのよ。
それゆえ全国各地の「古いところ」には、陰陽石と呼んでいる、要するにちんまんの形をした石なんかがあるわけよね。日本以外でも世界中にあるわよ。
あ、それで猿田彦はサイノカミの手下ってことね。
ましてや「むかし」(わたしが言ってるむかし、は紀元前のことよ)は女系社会。出雲族は女が偉かったから、まーそれって考えると最も平和よね。女のバーイ、女は女にマウントするかもしれないが、まー大抵の場合戦争なんかにゃなりゃしないわ。
「むかし」女が偉かった社会があったわけだよ、ネスカフェぐらい世界中どこでも。
それだと世界は平和じゃん。
平和すぎて何も起きないじゃん。
そーすると退屈じゃん、ある意味。神視点での「退屈」よ。
だから男が偉い社会に入れ替わったのよ。(けど失敗したのよ。争いすぎたの。戦争やり過ぎたの。だから今また変わるの。それでこないだから「シン時代」よ。だから今みんなやる気出ないのよ。「踊り場」なの。・・・・・って、長くなるから割愛するわこれも)
それで、えーと、サイノカミね。つまり男女和合ね。
それをかたどった像は日本各地にあるんだけど、特に出雲(広域)エリアとか諏訪(広域)なんかにも多いんだってさ。
インドの邪神ナーガとナーギなんかも結局それよね。
トグロを巻いた蛇とか龍とか、まあ、大抵みんなおんなじもんを意味しているわけなんだけど。要するに「出っ張ったモノ」よ。要するに男性よ。
龍とか好きな人多いけど、でも考えてみてよ。古事記に龍の話なんか1ミリも出てこないじゃん。
それなのに、龍ってどこにでもいるわよね。神社とかあらゆるところに。みんな「水の神様は龍神さま」みたいなもんを受け入れてるわけよね。
じゃ、なんで、「龍と水」なのか、考えたことある?
水のあるところ、龍がいる。水が絶えると、龍は死んでしまうのよ。
この意味深いわよ。みんな一旦考えてみて!
えーとそれで、出雲を島根県と捉えてるとわけわからなくなるけど、要するに東日本一帯、そもそも出雲なのよ。超大雑把にいうと。
それでね、我が相模の国にはね、「大山(オーヤマ)」っていうお山があって、子供の頃から何度も登ってるおなじみのお山なんだけど、よく考えたらさ、山陰にはもっと雄大な大山(ダイセン)あるじゃん。
(・・・なんか、同じ扇風機でもダイソンとアイリスオーヤマぐらい違う気がしてきた)
でさー、今日行ってきたの。DNが紅葉見るっていうから。
やっぱ、赤はいいわね。
でね、表向きは、大山祇の神ってことになってんの、祀られてるのが。
でもさ、大山祇さんて誰よ?コノハナサクヤ姉妹のおとっつぁんということ以外、よくわからないじゃない?偉さがよくわかんないじゃない?
それなのに、めちゃくちゃいろんなところでセンター張ってるじゃない?
だけど、この本殿の下には水が湧いてて(しまった、写真撮るの忘れたわ)、お水は汲めるようになってるの。
でね、その奥にあるのは、実はこれなのよ。ひっそり、あるの。本殿地下に。
サイノカミよ。
そしてこの形状見たらわかるよね。出っ張ったモノ(男)と丸いモノ(女)を同時に表してるわけなのよね。
山の神っていうのは女だから、怒るとまずいわけよね。
ハワイで言われてる「ペレ」とか、有名だけど。
怒られると人間みんな困っちゃうし、下手すりゃ死んじゃうから、なだめないといけないわけよね。
女は喜ばせてなんぼなのよ。
だから蛇とか天狗とか、長くて立派に出っ張ったもんが必要なのよ。
しかし考えてみてよ。
これさー、概念上の話だけじゃないもんね。
要するに、「我々の実際」だってそうじゃない?
男でも女でも、やたらイキってる人とか、マウント取りたがる人とか、情緒の安定しない人とか、
結局、うまくいってないんだろうな。それだけなんだろうな、、、、
って思うもんね。
男女で現れ方(表現)が違うだけで、結局、パートナーシップに満足してないんでしょ?って思うもん。
女の場合の不満の根源は特に、「結局、旦那に認められたいんだろうな、、、、」って人だもん。潜在不満ね、このバーイ。
それって性的な意味だけとは限らずで、ツーカー会話が成り立たない、とかもそうかな。
だから何者かになろうとする。人の賞賛を得ようとする。誰かに「認められる」ことが大事になってしまう。
それって、別に悪いことではないと思うんだよ、良いモチベーションになるのなら。だけど行きすぎると本人ツラいよね。ぶつ切り型のキラキラをいつも探してなきゃいけないから。
なので不満の根源を探ることは大事よね。
男の人でも、些細なことですぐ怒る人、鷹揚さに欠けすぎる人とか、「うまくいってないんだろうな〜」って思う。
てな訳で、実生活そのものをおかしくするのが、男女の「不和合」よ。
ましてや昔は女系社会。女どもに烙印押されたら立場=生活の場を失うわ。
だから、何が言いたいかというと「むかし」は神世界と俺らに、何の境もなかった。
「和合」は世界のすべてだったの。自然界との和合がなければ、我々行きていけないのよ。
だからみんな一生懸命考え出したんだと思うわ、山の神をなだめる作戦を。あの、地面に刺すヒラヒラしたやつ、あれも地面(女性)に対して出っ張ったモノを備えて喜ばす、ということらしいわ。
男だけでも女だけでも子供は生まれないってことは、どんなバカでもわかる自然の摂理。
地面に根っこという出っ張ったモノが伸びなければ、作物は育たないわ。
それって真剣な話だけどユーモラスでもある。
信仰であって生活でもある。(信仰は「宗教」とは別なもの)
どこにも境目がないのよ。
特段尊いわけでもなく、ましてや下品なことなんかではもっとない。
フツーのこと。自然なことよ。
で、いつから人は、性の話を「下品だ」とするようになったのかしら。
いつからタブーにしたのかしら。
それは「信仰」に「宗教」がおっかぶさってきた時から、ってのはあると思う。でもそれだけじゃないわ。
そして今、世の中がこの話をするバーイ、どっか構えてるか、理論武装的な力の入ったもの、あるいはめんどくさいものになってる。
タブーですらない、おおらかなことだと思うけどね、本来は。
・・・・・・・で。
まーそーゆーアレだから、次の時代は男でも女でもない人イエーイ!ってなったり、
「科学的なやり方」で子供が「生産」されたりする時代を目指してるのかもしれないわね。もうそうなると、ヒトじゃなくてモノだけどね。
話が長くなりすぎるからやめるわ。
・・・・本来、ベラベラ喋れば済むことを、まとめて書くって骨が折れるからあちこち割愛しまくったけど、まーなんとなく、そんな話で今日は〆るわ。