坂口安吾と言えば!
多分「堕落論」か、もしくはこれじゃないかと思うのですが、
明治39年生まれというから、40年生まれのマイじいさんとほぼ同い年、あ〜、その時代の人か〜というちょっぴりリアリティな感じです。
「無頼派」という言い方がされますが、要するに奇才ですね。
いや〜、昔の文士ってやっぱりすごいですわ。時代を経ても「読む価値」があるもんね。
この、Kindle「青空文庫」という電子出版のありがたいところは、昔の、いわゆる著作権が消失した「古典作品」が、タダで読み放題だってところです。
夏目漱石も太宰治も谷崎も、もうありとあらゆる文豪たちの作品が、タダですよ、タダ!
しかも、文庫ですら探すのが難しい5分で読める小品などもタイトル化されているのはありがたいことこの上ない。画期的なことだと思います。
地道な電子化作業をしてくれている方々に大いなる感謝を捧げたいところであります。
でね!
坂口安吾ですけれども、この方がいわゆる「両面宿儺」に言及していることを、ある方から聞いたので検索したところ、お宝みたいな文献を発見したんですわ。
それがこれ!
昭和初期に活躍した「無頼派」の代表的作家である坂口安吾のエッセイ。初出は「文藝春秋」[1951(昭和26年)]。前年まで連載されていた「安吾巷談」に続く連載エッセイとして全10篇が掲載された。この回は、日本の古代史上重要地でありつつ、触れられていない「ヒダ」と「スワ」について、かなりの熱量で記している。
何しろ「タダ」だから、直ちにに読んでください。(って、サモシイ言い方だねえ)
続いてこちらを読んでください。
分量的にここまで、あっという間に読めます。
そしてフムフム、、、となったら、これです、これ!
こんなものまでタダで読める(Kindle Unlimitedで読み放題の人ね。そうじゃないなら1000円で読めます)ってどうなのーーーーーーーーーー!!!!!!
ってぐらいのクオリティの本です。
昨日から、わたしはこの本に着手していて、現在第2章。
そこで出くわしたのがまたしても物部!
結局、「正史」が存在しない日本の歴史は、物部をおいて語ることができない!
というか、物部についての考察なしに、歴史もヘッタクレもあったもんじゃない片手落ちの知識ってことになります。
そんで、実際は「知識」なんてもんじゃない、それは「教養」のレベルを遥かに超えて、今以降の我々のカギを握っている、とわたしは踏んでいます。
我々のカギというよりも、、、、人類全体のカギかなあ。
物部を「滅ぼされた一介の古代氏族」みたいな認識でいるとちょっと違う。なぜなら物部はオリエントから来たからで、そのルーツと規模感はこの島国単体だけの話ではない。
それゆえ十種神宝とシジルは同じもの。
シジルはソロモンの大いなる鍵。それは、日本ーユダヤみたいな話でさえ小さなスケールに感じられるような、そんぐらいの大きなことだとわたしは掴んでる。
まあ結局、今というこの時、時代の転換点、自分らのルーツを正しく取り戻すことが大事ってことなんだよね。
ものごと、間違った土台、間違った基礎の上にどんな建物建てても脆弱だよって話。
まあ、いずれミゾクイ会で話しますが、
「コーリング」というか、
時空を超えて、連綿と我々のDNAの中にあるものが、わたし達に呼びかけている。
なんだかわからないけど、呼びかけに応えてみる。
そんなことが何より大事。
根幹以外の瑣末なことは、もう本当にどうでもいい。ほんっっっっっっっとうにどうでも良い。
そんな感じ。
みんなも、何を言ってるのかわかんないかも知れないけど、わかんなくてもいいけど、意識に入れておいてください。
まー、とは言えわたしもどう伝えていいかわかんないんだけどね。