以前、「モーニングノート」についての記事を書きました。
PCやスマホではなく、自分の手を使ってペンを走らせることが、脳の回転速度を適切にし、ゆったりとした深い思考を可能にする、、、というお話。
自分も含めて我々はみ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んな「スマホ脳」「SNS脳」あるいは「チャット脳」になっていて、
よく考えもしない即レス会話だけを自動化して繰り返しているに過ぎない。
結果として、言葉の量(=文字量)だけが虚しく折り重なるけれども、そのどれもが、心の深い部分ではなく、脳の表層を上滑りして通過しているだけ
っていう、言われなければ考えもしなかったけっこう恐ろしい事実に気づいてしまいました。
脳がそうなっちゃってるから、リアルに人と会って話しても、同じことをやっている。
ま、もともと、その辺のカフェで聞かれる女同士のおしゃべりなんかは、デジタル以前からそーゆー傾向があったんじゃないかとりーかお総研では見ていますけれども、SNSはそれに拍車をかけているのではなかろうかと。
で、常に当たり障りない即レスを繰り出せることが「コミュニケーション能力」だとされていたら、ちょっとそれはどうなんでしょうか。。。。。。
「疑問力」や「質問力」あるいは「問いの立て方」といった本質的なところは、どんどん退化していっちまいます。
最近もう一個気づいたのですが、
わたし、アホみたいに本を買うわけですが、紙の本とデジタルとがあれば、デジタルを選択しがちになっている。
最大の理由は老眼で、Kindleであれば文字をでっかくすることができるのと、アンダーラインを引いた箇所を検索しやすいのと、いくら買っても「モノが増えない」からそっちの方がいい、と思ってました。寝転びながら読めるのもいい。いや、マジで、ここに高く積み上がった本を見て、同時にKindleの中を見ると、実際はこの「倍以上」の本が積まれていることになるのねえ、、、と思うとなんとも言えない気分になる。
それで、実際デジタルの方が早く読めるんですよね。
それと、デジタルの場合、「文字として書かれていること以上の情報(エネルギー)」を受け取ることもある。要するに通信意識体が電波に乗るわけなんですが、その書かれている情報が、マジなもの(すいません、語彙がないです)である場合身体が反応します。
なんだけど、何が気づいたって、デジタル本は早く読めるけど、ほとんど残らない。
脳内になのか、心の中になのかわからないけど、とにかくあんまり残らないなってことに超最近(ていうか昨日)気づいたんです。
はっは〜ん、、、、と思いました。
その時「知識」としてインプットにはなるけれど、あまり血肉にはならないのではないかしら。
同様なことが「動画」にも言えて、例えばTOLANDさんみたいに面白おかしく考察を説明してくれてるものは、もちろん楽しく拝見するけど結局要点がなんだったか「残らない」。
その時「知ったような気持ち」になるだけで、実際は何も残らない。
だからやっぱり文献を読むほうがしっかり入ってくる。
てなことを、昨夜から読み出したこの本を読みながら思いました。
いやーーーーーーーーーー、この本すごいよ。もろもろの謎が解けてうっひゃーーーーーーってなるよ。
諏訪まわりに関心ある方は是非読んで!!!わたしは老眼に鞭打ちながら進めています。
コレクション(収集)とセレクション(厳選)は違うので、どうでもいい本はKindleでいいけれど、セレクションは紙の本が、やっぱし大事なのでは?と思う次第。
だからブログ記事も、頑張って書いてもねえ、、、、、、てなことも思う。
ちょっとした気づきでした。