既知外の皆さま、
「幼少期の親との関係やトラウマが、その後の人格形成に影響する」ぐらいは、今や誰でも知ってることでしょうが、それ(幼少期)を鑑みるだけでは解決しない根深いことだっていくらでもある。
DNの場合は、父親もワーカホリックなところが相似形。また家庭として考えた場合、あまりにも親兄弟あるいは親戚との関係が希薄というか無関心というか、尋常ならざる淡白さが見て取れていて、ま、逆にそのおかげでわたしには煩わしい嫁姑問題などはゼロ(だって3回しか会ったことがなくて、3回目は俺のオトーサンの葬式という異常さw)という妙な恩恵があるわけですが、この無関心さの影になにかが働いているのではないか、なぜそこまで極端に仕事に「逃げる」のだおるか、と考えた時に、今まで手の出しようがないと諦めていた彼の家系の因縁をどうにかしなければ。。。と思った。
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「袖すり合うも他生の縁」とはよく表された言葉で、人と人は生きている限りエネルギーを与えて受け取るという循環を繰り広げているわけで、ただ生きているだけで「持ちつ持たれつ」は成り立っている(けど、人はその事に気付かない)。夫婦であるとか、密度の濃い付き合いをする恋人同士っていうのは、やはり尋常ではない縁で繋がっていて、実際的に糸、つまりコードが繋がっていることを昔の人はおそらく視覚的にもわかっていたのでは?それが「運命の赤い糸」のように結婚産業によってキラキラ化された言い回しになって、ファンシーな観念になっていったのでは?
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ヘヴィな体験にはそれだけ重要度の高い気づき(学び)がセット。ヘヴィさを避けて生きていると学びも得られないので得点も伸びない。(→ 物質社会は生きているだけで共通一次試験)
自分はヘヴィ体験から学びまでのリードタイムが劇的に短くなっている。
りーかお放送局で「運命の糸」についてお話ししてます。