個人商店をはじめとしていろいろなところから、「自粛要請」に対し不満の声が上がっている。
経済支援を先に発表するのが筋というものだ、というその主張はわかる。
その通りでごもっともだ。
けれども、その「筋」を求めて人の往来を自由にさせている場合ではないことだけは明白だと思う。
「危機感」の置きどころは、命>経済だ。
イタリアでは「とにかく生命を優先する事態だ」とはっきりアナウンスされた。
で、ここが大事なのだけど、
良心ある国では「アナウンスされた」わけだ。
「それほど事態が深刻だ」という事実は、何処かの国ではアナウンスされていないからといって変わるわけがない、ということ。
で、そこに怒ろうとも、何をしようとも、
ウィルスの侵攻は止まってはくれないということ。
それは事実だ。
もう1ついうと、仮に優秀な人でも、重要な決め事を、同時に2つはできないことが多い。
ましてや優秀でない人は、重要な決断をすることにむちゃくちゃ時間がかかるわけだ。
しかもその決断が、遅すぎる可能性は大ありなのだ。何しろ優秀ではない人なんだから、仕方がない。
さて、我が国の優秀でなければいけない人たちは、どれほど優秀だ、とあなたは思っているのか?
もしかして優秀さを期待していないか?
ということを考えてほしい。
さらに、悪いけれども、とても残念なことだけれども、
この国が、国民の命を大切に考えている、と感じたためしが一度でもあるだろうか、ということを冷静に考えてほしい。
身も蓋もない話に聞こえて、申し訳ないけれど、事実だ。
わたしたちは福島で学んだはず。
もっと遡れば、歴史を見ればわかるはず。
戦争は、勝つことより玉砕が美徳とされた。上の人たちは責任は取らない。
まあ、そんな国。
ただ、お金はある。あるところにはある。
わたしたちにそれなりに支給できるだけのお金はあるはず。
企業の内部留保とか。
すべて明るみになったらいいと思う。
この「配分」を、政治家に任せるしかない「既存の仕組み」のことを考えると腹が立つので
「政治家が一切機能しなくても済む仕組み」について、わたしはひたすら考えている。
みんなも積極的に考えてほしい。
それで、国に「文句」や「嫌味」を叫んでも意味がないので
どうだったら満足なのか、という「要求」
を声高に叫ぶことの方が重要だ。
「文句」を言い始めるとあらゆることが「文句視点」でしか見えなくなっていく。
そして巷にあらゆるネガティブを探し求め、スパイラルに入る。
結果、自身の振動数を下げる。病気になる。
社会的正義感に溢れる人が陥る罠。
ウサを晴らしているつもりが、晴れることない雪だるま。自分を蝕む。
政治家の罪はでかいと思う。
思うが、民衆の無知もまた罪だと思う。
はっきり言って、バカな政治家はバカな民衆が生み出した負の資産。
無知な民衆に無知な政治家。
お互いがお互いをバカだと思っている。
ノーリスペクトのそんな状況。
少なくともインターネットがある限り、「報道」に関して、わたしたちはある程度自由にどの国の情報も受信できるようになっている。
ブラウザには翻訳機能が搭載されているわけで、フェイスブックには自動翻訳がついている。
「英語わかんないし」で済ませることは、自ら何かを放棄すること。
放棄した人間が「日本語でなされる質の悪い報道」もしくは「流布される(デマの意思がない)偽情報」だけを頼りにしている。
そして切迫した時になって、切迫した情報を与えられ、怒りを露わにする。
・・・・ちょっと、それどうなんだろう、と思わずにはいられない。
もう、いい加減にしましょうよ、と言いたい。
来るべきポストコロナの時代に向けて
各自、取得情報のレベルアップと、情報の精査能力を上げることは必須だと思う。
ちなみにわたしは「すべての報道に真実がない」という前提で各国からの情報を見ている。
日本の幼稚なワイドショー化したニュース番組にあてる時間があれば、少なくともFBに流れてくる各国の情報ぐらいはさっさと取得できる。
FBも、どうでもいい話やどうでもいいスピ情報(使い回しされた「あなたは大丈夫」系の記事)より
信頼できる情報を流す人をどれだけフォローできるかも肝。
自分でできる対策は、この国の優秀であるべき人たちに任せておく場合じゃない。
真面目な話になりました。
読んでくれてありがとう!
またね!