大学時代、同じ講座に通っていて、学校は違うけど仲良しになったお友だち。
30年の時を経て、今日Facebookで連絡をもらった。
連絡をくれた理由がまた素敵で、「寛斎さんが亡くなって、かおりちゃん大好きだったよね?思い出して、どうしてるか気になって、探したの」だった。
一瞬きょとんとしたものの、わたしが好きだったKENZOと勘違いしていることはすぐにわかった。
懐かしくて、当時のことを思い出そうと思えばかなり思い出せる。
ちなみにその講座の先生は当時NHKだった池上彰氏で、わたしはいくつもの小論文の批評を受けた。
彼は、今はあんなに人気者だ。
それじゃあランチでも、
と2人同時に切り出したけれども、
「こんなご時世だから厳しいかな」と言う彼女と
「何食べたい?」と言うわたしでは、向けている目の先が違うことはすぐにわかった。
彼女もいわゆる「いいうちの子」で、非常に善良な子だったし、今も簡単な会話の中にその気配を漂わせている。
ご両親はいまだご健在だそう。
「わたしから移してしまうのが怖くて実家にも行けない」と言う彼女に、わたしはかける言葉がない。
さらに、「今、就活中で」と言われれば、「うまくいきますように!」と思うものの、
今、というこの時、都心の企業に通って得られるものは何だろう、、、と真っ先に浮かんでしまうわたしがいる。
それでも、うまくいきますように、と願っているけれども、
この10年でわたしは、「自分とそれ以外」のいろいろな隔たりに対して、一つずつ丁寧に決着をつけてきた。
そして小人と5人のジジイは、その隔たりをさらに強固なものにした。
人は分かれに分かれている。
世界は分断に次ぐ分断だ。
どちらの行く先にも満足がありますように。