田村正和さま(わたし大好きだったのよ)が亡くなったと聞いて、
あーちょうどいいお年頃で幕引きされたな、さすがだなと思った。
成城学園の話で、田村邸に遊びに行った子の話
「ママ〜〜〜!!!田村さんのパパすっごくカッコいいお父さんだったよ〜!!」
「・・・・あんた当たり前じゃないの!田村正和なんだから!!!!」
みたいな冗談、たぶん実話なんだろうけど、なんか数十年ぶりにふと思い出してジワリきた。
素敵な人っていうのは、サラッとしているなあ。
あー、サラッとしている人に、わたしが素敵さを感じるというだけのことだな。
話は大きく変わりまして。
数年前ですわね、フラワーオブライフ のランチョンマットを作るにあたって、
実際に、自分で、コンパスを持って、描いたわけですよね。
適度な大きさになるよう、何枚も試してみたわけだ。
さらにその線を刺繍するという行為。
ふと考えてみますればですね、
あの時から、確実に何かが始まっていたのかもしれない。
というのは、ドランヴァロの本でも、神聖幾何学の奥義は、自分で手を動かして作図して初めてわかる的なことが書かれてあったもんなぁ。
やっぱね、あの方々の例のシンボルはね、並々ならぬものがありますよ。
やっぱね、「コンパスと定規」。
これがすべてだ!とわたしだって思うに至ってますよ。
ふふん。ザマアミロ。わたしは可愛いキティちゃん主義だぜ。
その後、綿棒で立体のフラワーオブライフ を作るのもやってみた。
その時、確実に「何か」がわかった!と感じたねえ。
要するにね、本を読んだり誰かに聞いたり、
「知識」であるものって、所詮ダメなんですよ。
所詮そこ止まりというか。
人間に動かせる手がついている以上、手を動かすという行為を通じてなにがしかが得られるんですな。
でさあ、
今、作図したときのことや、綿棒やってみたときの記事、
わたし絶対書いたはずだけど、見つからない。
考えたら修道院時代のもので、全部kaorissimaに移設してないからね。
昔のことはどうでも良いと思っている自分を再確認したわ。
や、ほんと、過ぎたことはどうでもよ過ぎる自分。すげえなって思ったw
記事って書くのに結構時間かかるからねえ。
そうそう、それで、
そんな昔の話はどうでもよくて、先に進みます。
この、作図するという行為もまた再開したいわけですが、
最近、ボードに色を塗っていて、
このねー、色の配置を考えるという行為、実際に塗るという行為もねー
またなかなか、オツなものなんですよ。
それで、塗り絵ブックも良いなと思ってね。
オリジナルのやつ。
グリッダーなら、自分で彩色したものに、マリア様載せたら、また新たな発見があるでしょうし、
当然予想もしない変化が起きる、ということが簡単に予想される(ややこし)
幾何学塗り絵ブック、そのうち作ろうと思ってます。
そんで、昨日は試しにイラレでマンダラ作ってみた。
まったく不本意すぎるけど、第1作だよ。イマイチすぎるけどプレゼントします。
ここからダウンロードできるよ!
よかったら塗って、できたら見せてね〜!!!
ほなまた