昨日ふと、
これからはもう、どんどんイミフなことを書きなぐってやろうと決めて、寝た。
この「イミフわめき散らし」って意外と難しいって知ってる?
わたしらどうしたって、「読む人がわかるように」なんてことを自動的に考えがちなんだよ。
この場合の「わかる」は言ってる「意味がわかる」っていう意味ね。
文章として成り立ってて、少なくとも何の話なのかが「わかる」ってゆー意味。
(・・・・あ、ほらね、もうこうやって意味を説明しようとしてるじゃん!)
でさー、次の「わかる」はさー、
実感としてわかる、わからない、
話のキモをグリップできているという意味での「わかる、わからない」。
そんでさー、
あーこれ言っても、誰かわかるかな?
とか、考えたり、ついついしちゃうんだよ。わたしのバーイね。
だけどさー、
それってさー
ほんとつまんないんだよね。
「読んだ人がわかるように頭使って書く」
をやったところで、
どうせ誰もわかんないんだよ。
「どうせ誰もわかんない話」をわかられようと努力する、この「徒労」。
はっきり言って何の甲斐もないわけだよ。
だいたいさー、「みんな」って最大公約数のことでしょ。
今や最大公約数ってどういう人かっていうと、
「お口にお札貼ってる人たち」だって考えるとわかりやすいよね。
まーそんな「お札組」(はっきり言って十把一絡げ)に、
わかられようが、共感されようが、されまいが、悪く思われようが、ボロカス言われようが、
ほとんどどうでもイイ!
そーなんだよ、昨日気付いたのはさ、
「みんな」=お札組
っていうふうに、
よくわかる「可視化」がされてるってことなんだよ。
な〜んだ。
状況がこうなっちゃった以上、
もはや、「みんなにわかられる」なんてさー、
「みんなにわかられてるようじゃ、もうおしまい」
って話じゃん。
てことに、気がついて、寝た。
ま、そんなこたどうでもイイ。
これからは、どんだけイミフであるか
ってことしか、価値じゃない気がしてきた。
イミフ力
が問われる時代だよ。
ってどんな時代だよ?
や、だから、こんな時代だよ。
そんでさー、やっぱもうまじ誰に悪く思われてもイイですね、
(だって、その人が勝手に悪く思うだけなんだからね。こっちゃ知ったこっちゃない)
あ〜〜〜〜〜〜〜超晴れ晴れとしたこの気持ち!
と思って、好き放題バカバカ言ってやろうと思っていたところ、
昼に友達が、突如桐島洋子女史の話を切り出してきて、
・・・という話は、この次の記事にしよっと。
ほなまた!