あーほんとに。
羽田で前の記事書いといてよかったよ。
長崎着いたらケロリン子だもんね。そーゆー悪夢があったことさえ記憶の彼方。
一体なんなんだろうか。。。。。しかしもう慣れているのでいちいち気にしない。
いや、もちろん尽力してくださった方々のおかげでもあるが。
さて、長崎は本当にポルトガルに似ていると思う。
えーらい寒気とともに家を出て、長崎空港着いたらクソ暑く、この空気感はリスボン空港に似ている。
長崎駅から宿泊先までぷらぷら歩きながら、偶然目に入った白亜の教会が「中町教会」だった。
見ただけでホッとして、素通りする気になれず、キャリーバッグをガラガラ言わせながら入っていくと保育園だった。
中庭にはまたもや殉教者の碑があり、しかし不思議なことに、前回まで感じていた曰く言い難い感情は、自分の中にもうなくなっていることに気づいた。
ぐるりと一周して、教会内に入る際に、居合わせた地元のおばちゃんと「どこからきたの?」から始まって、コロナの話題を仲良く談笑する。
長崎の人は好きだ。衒いがなく、おおらかだ。
今日は夜までひとりなので、散歩中に何人もの人に話しかけられ、「他愛もないコロナの話」をした。
好きだなあ、こういう自然な感じ。
教会は白壁に光が溢れ、素朴でホッとする。
2年間ヨーロッパに行っていない(し、もう行けない)から、視覚的にわたしを落ち着かせてくれる街並みが長崎なんだとしみじみ納得する。
教会を出てから、これも現存する被爆建築であることを知る。
前回気づいたが、やはりここでも「敵国への憎悪」を感じさせない文章で説明してある。
わたしはこれを見識だと思っている。見習いたい。
昨日一睡もしていないくせにあまりに元気で(何度も言うけど朝は死ぬかと思ったのに!)、
チェックインを済ませてから大急ぎで松翁軒本店まで。
あと5分で閉店というところに汗だくで滑り込み、ここでもコロナの話をする。
カステラを愛してやまない、そしてやたらと小うるさい母まるちゃんのためにごそっと発送手配完了。
とにかく短時間によく歩いて、気付いたら、1万歩以上ぶらぶら歩いてたw
着いた直後から猛烈にハラヘッタ!だったのに、店という店はほとんど閉まっていて、前回行った思案橋の皿うどんに再訪したら、そこだけ開いてた。
お店の人覚えていてくれて、まあまたコロナの話にずっとつき合った。
そういう意味では、今や「世界中どこでも、たった一つの話題」で盛り上がれる素晴らしい状況なのじゃないかと思ったり。
わたしは盛り上がってないけど、人たちがそれをどう捉えているのかを見ているのは面白い。
思案橋周辺のゴチャゴチャした飲み屋街のところは再開発決定してるらしくて、
ああ、なるほどね、、、、と思った次第。
どこもかしこもキレイキレイになって、そこに元あった個性は消去される。消去するのに必要なのが、自発的な廃業。
・・・・みたいなことに、みんな気づかないのかなあ。
さて明日は、外海地方を巡ります。
何が起きるのか、起きないのか。
だいたいわたしは何をしにきているのかすら定かではない、不思議な義務感。