世の中はけっこう大変なことになっています。
世の中とはあなたの半径5メーターぐらいの幸せな世界ではなく、この地球という意味です。
すでにヨーロッパでは厳しいグリーンパス(爆パス制度)が導入され、イタリアでも各地で抗議デモが起きていますが、そんなことはまず報道されません。
でもパーソナル規模のニュースメディアをフォローしていれば何が起きているかをリアルタイムで見ることができます。
広場に集まった人たち、老若男女、つまりジイさんバアさんや子供に対して、軍はいきなり放水し、催涙ガスを浴びせたりしていて、これが爆沈の話であろうとなかろうと、いったい秩序とは、人権とはなんなのだろうか、この世の地獄としか思えない。
当然、イタリアだけでなく、各国で抗議のために人が集まっては鎮圧されています。
オーストリアでは来年から爆沈が義務化されるようです。他のEU国もいずれそうなるでしょう。
EUだけではありません、もちろん、これは世界的なイベントなので。
念のため、表明しておかなければと思うのは、わたしは「誰かのせいで」という考えをすべて放棄しています。
「●●な人がいるから(のせいで)、わたしたちが損害を被っている」という発想のすべて、です。
そうなると、自ずと見えてくることがあります。
「自分はどうするか」ということです。
大切なのは、その一点のみだと思っています。
今ここで、論点は2つしかないとわたしは思っています。
爆に反対するとか、反対するヤツはバカ、賛成するヤツは洗脳されてるとか、もはやそういう低レベルな次元の話ではないです。
1)人間存在というものををどう捉えるか。
我々は寿命という期限付きの生命と同時に自由を与えられた生き物です。
どのようにしても死は免れないようにできている動物として、与えられた最高の喜びは自由です。
それを自ら放棄するよう強制されるということが何を示すのか。これは各自が考えるべきテーマです。
放棄したい人はすればいい。しかしそれを人に強制する権利を、誰が持つというのでしょうか。またそれに従うことは美徳なのでしょうか。
2)だとして、「事後」をどうするか。
恐怖は誰にも備わった原始的な感情です。
だから、今や恐怖のあまり、何が起きるかなんて「知りたくはない」という気持ちになる人だって多いと思う。
例えば身内や大切な誰かが爆ってしまった場合など、もうネガティブな側面を考えたくはないからこの話題からは身を引くという人だっていて当然だと思う。
でも、無知はより大きな恐怖に、知はなんらかの知恵につながります。
そう、もし強制されたら、ということです。
そのためにも、必要な情報と知恵を収集し、準備を進めることは大切なことだと思います。
その知恵に関しても、もうあからさまな表現はできません。
でも、今年わたしは、とにかく「肉体が重要」ということ「のみ」を論点にしてきたと言っても過言ではない。
その先にやっぱり「なんだか知らないけどひらめくもの」があるんです。そしてそれは、後から明らかになるんです。
その点で、わたしは自分のことを非常に信用している。
めちゃくちゃ、信用しています。
まあ、なんとなくでもピンときてくれる人がいることを願っています。
そして、直接話すことが最重要だと考えています。
ではまた